2017年 10月 18日 ( 1 )

父の旅、私の旅

水曜日の色

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父の旅、私の旅

高千穂行きの言い出しっぺは、元看護婦さんのお姉さまで、実は彼女は指宿が何処で、高千穂が何処なのか、詳しくは分かってはいないようなのだった。
が、高千穂に行きたいと言ってるよと、元パタンナーのお姉さまから聞いた時に、せっかくはるばる東京から九州に来るのだし、私もお神楽を見たかったので一緒に行ってもいいなと思った。
それで行くことになった。

指宿の鹿児島県と高千穂の宮崎県はお隣同志だけれども、鹿児島県の南端と宮崎県の北端だ。
だから結構遠い。それにローカル線なので電車やバスの待ち時間も長い。
そして気になることに、指宿枕崎線も日豊本線も、降雨量が多くなると電車が止まってしまうことがある。だからずっと天気が心配だった。
でも、私達三人は晴れ女で、傘マークのあった天気予報を見事に覆し、行き帰りに時間はかかったものの、スムーズに高千穂に行って帰って来れた。

私は日本の神話とか詳しくは無いのでぼんやりとしか判っていないが、高千穂のお神楽を見てみたら、ちょっと古事記なんかも斜め読みでもしてみると面白いかなと思ったりした。

父は70代のある時期、日本神話にはまっていたことがあって、私はあまり関心がなかったので父の話をよく覚えていないのだが、夫がお父さんが長々と日本神話の話をしていたと言っている。
その父は、東京時代はアマチュア山岳映画を作っていたが、好きな山域は北海道と九州の山々だった。
JRのジパング倶楽部の会員であった父は、北海道も九州もひたすら電車の旅をしていた。私が取ってある父の遺品の一つに旅の記録資料のファイルがある。
その中には、今から25年前の6月5日から6月23日までの九州縦断の旅の日程表がある。
この旅は、別の手帳を見てみると、退職記念の旅であったらしいことが判る。

新大阪から寝台列車で別府に着いている。
そして九重、阿蘇を経て、日南海岸に辿り着いていて、えびの高原、高千穂峰、開聞山麓、指宿、当時の西鹿児島、現在の鹿児島中央から博多へ出て、東京へ帰って来ている。
阿蘇方面からどうやって日南海岸へと思ってよく日程表を見てみたら、私達も乗ったバス経路で、阿蘇下田から延岡までバスで出ているのだ。
ちなみに、高千穂峰というのは、私達が行った高千穂よりも南の霧島連峰の第二峰だ。


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父が写っている写真のバックの指宿の駅舎は、色は違うが今と変わらない。
後に、娘がその指宿に住むようになるとは思ってもみなかったことだろうが。
途中、えびの高原に行くのには、吉都線、えびの高原線というのに乗っている。そのうち、私も乗ってみたいものだ。

事細かな旅の日程表を作っていた父の血が、私にもちょっと流れているようだ。
父は、旅に出かける前に、分厚くて大きな時刻表で調べたり、現地に電話をしたりしていた。
今の私はネットで調べている。
父も私も、旅の前、旅の最中、旅のあとと、三段階の旅を楽しんでいるのだった。







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by kiyoko_ki | 2017-10-18 21:44 | 水曜日の色 | Comments(0)