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父の旅、私の旅

水曜日の色

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父の旅、私の旅

高千穂行きの言い出しっぺは、元看護婦さんのお姉さまで、実は彼女は指宿が何処で、高千穂が何処なのか、詳しくは分かってはいないようなのだった。
が、高千穂に行きたいと言ってるよと、元パタンナーのお姉さまから聞いた時に、せっかくはるばる東京から九州に来るのだし、私もお神楽を見たかったので一緒に行ってもいいなと思った。
それで行くことになった。

指宿の鹿児島県と高千穂の宮崎県はお隣同志だけれども、鹿児島県の南端と宮崎県の北端だ。
だから結構遠い。それにローカル線なので電車やバスの待ち時間も長い。
そして気になることに、指宿枕崎線も日豊本線も、降雨量が多くなると電車が止まってしまうことがある。だからずっと天気が心配だった。
でも、私達三人は晴れ女で、傘マークのあった天気予報を見事に覆し、行き帰りに時間はかかったものの、スムーズに高千穂に行って帰って来れた。

私は日本の神話とか詳しくは無いのでぼんやりとしか判っていないが、高千穂のお神楽を見てみたら、ちょっと古事記なんかも斜め読みでもしてみると面白いかなと思ったりした。

父は70代のある時期、日本神話にはまっていたことがあって、私はあまり関心がなかったので父の話をよく覚えていないのだが、夫がお父さんが長々と日本神話の話をしていたと言っている。
その父は、東京時代はアマチュア山岳映画を作っていたが、好きな山域は北海道と九州の山々だった。
JRのジパング倶楽部の会員であった父は、北海道も九州もひたすら電車の旅をしていた。私が取ってある父の遺品の一つに旅の記録資料のファイルがある。
その中には、今から25年前の6月5日から6月23日までの九州縦断の旅の日程表がある。
この旅は、別の手帳を見てみると、退職記念の旅であったらしいことが判る。

新大阪から寝台列車で別府に着いている。
そして九重、阿蘇を経て、日南海岸に辿り着いていて、えびの高原、高千穂峰、開聞山麓、指宿、当時の西鹿児島、現在の鹿児島中央から博多へ出て、東京へ帰って来ている。
阿蘇方面からどうやって日南海岸へと思ってよく日程表を見てみたら、私達も乗ったバス経路で、阿蘇下田から延岡までバスで出ているのだ。
ちなみに、高千穂峰というのは、私達が行った高千穂よりも南の霧島連峰の第二峰だ。


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父が写っている写真のバックの指宿の駅舎は、色は違うが今と変わらない。
後に、娘がその指宿に住むようになるとは思ってもみなかったことだろうが。
途中、えびの高原に行くのには、吉都線、えびの高原線というのに乗っている。そのうち、私も乗ってみたいものだ。

事細かな旅の日程表を作っていた父の血が、私にもちょっと流れているようだ。
父は、旅に出かける前に、分厚くて大きな時刻表で調べたり、現地に電話をしたりしていた。
今の私はネットで調べている。
父も私も、旅の前、旅の最中、旅のあとと、三段階の旅を楽しんでいるのだった。







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by kiyoko_ki | 2017-10-18 21:44 | 水曜日の色 | Comments(0)

いとしのコロコロ

水曜日の色

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いとしのコロコロ


淡い6色とりどりの小さなボールが幾つも入った丸い缶。
それをとある化粧品売り場の一角に見つけて、ああそうだった、こんなものがあるんだったなと凄く久し振りに思い出した。それからしばらくの間、それが心に留まっていた。

それは言わばフェイスパウダーなのだが、色や見た目の可愛らしさもさることながら、6色の小さなボールをコロコロとブラシで転がして使うところなど、女心をくすぐるものだった。

今年30周年だそうでロングセラーで、30年前と言ったら、病気をして休職をしたりもしたものの、また会社勤めを始めた私は、きっちりお化粧をするようになっていたから、人気があったこの存在も知っていた。でも、当時まだまだ若かった私には、ここのブランドというものが遠い存在で、素敵だなとは思っていたが、自分が使うようなものでは無いと思っていた。

その後、会社勤めは辞めて、あまり化粧に頓着しなくなった。また植物や鳥を見ながらの低山歩きを始めたり、少し始めた仕事のような趣味のような関係でも、周りは化粧気の少なめなナチュラル思考の人が多かった。

結婚したら、夫は、二人で出かけるという時に妻の化粧を待っているなんてことが嫌いで、早く早くと急かす。化粧をしないということにどんどん拍車がかかった。
特に夏の長い屋久島に暮らした頃よりは、化粧なんかしてもうまくその状態を保てないし、化粧の顔に見合うような服装でもなかった。
が、島のおばちゃん達の中には、もちろんばっちり塗り固めて化粧をしているおばちゃんもいて、いつ会っても崩れていないその技が凄かった。
街へ出かける時には少しくらい化粧の真似事をするが、普段の暮らしではほぼすっぴんなのだった。

そんな私が、このコロコロを遂に買ってしまった。蓋をあけると、バイオレットの香りがした。


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実は一緒に化粧下地も買っちゃった。
瓶には可愛いピンクのちっちゃなボールが透明な液に浸されて詰まっていて、ワンプッシュするとボールが弾け、薄いピンクのジェルが出て来る。同じバイオレットの香りがする。
これもなかなか楽しい。

私はファンデーションというものが嫌いで、ファンデーションがわりになるBBクリームなるものも手に入れてみたのだが、普段つけるにはやっぱりそれも好きではなく、これは街へ出かける時のお出かけ用に引き出しに仕舞った。
それで、先の化粧下地にコロコロのパウダーという使い方をして、それがとても気に入ってしまった。
ちょっぴり、化粧をしている気分になって、つまり少しだけ綺麗になれているように錯覚して、が、実際には、額のシワも、頬のシミも全く隠せていないけれども、余計なものをつけていないというのが本当に好き。

そしてかなり、かなり遅ればせながら、普段のスキンケアに力を入れようと思う今日この頃なのだった。






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by kiyoko_ki | 2017-10-04 15:59 | 水曜日の色 | Comments(4)

梼原

水曜日の色


梼原


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梼原に行く前に、知人がたまたま読んでいた「忘れられた日本人」に、梼原の話が出てくると教えてくれた。
民俗学の宮本常一のその本を夫の本棚に見つけので、旅の荷物に入れた。

友達が住んでいる高知の梼原という所へ、鹿児島の指宿に住む私が行くには、電車と新幹線でひたすら陸路を行く、或いは飛行機を使う、或いは九州から四国へフェリーで渡るなど考えられたが、確実に簡単に行けそうな電車と新幹線で行くことにした。
途中、九州新幹線はよく乗っているし、トンネルも多いので少し退屈だ。それで九州新幹線で、「忘れられた日本人」の土佐梼原でばくろうをしていた老人の話を読んだ。ばくろうというのは牛や馬の仲買人のことで、その老人は牛を扱っていた。話の中心はばくろうのことよりも、おおらかな時代の男と女の話であったりするのだが。

梼原は遠い。指宿を朝出ても、暗くなってからしか梼原に着かない。それで、新幹線で着く岡山に前泊することにしていた。夜、岡山の宿で、友達よりiPhoneにメッセージが届いた。
岡山から高知を経て須崎という駅まで行く。そこからバスでやっと梼原に辿り着く。
友達のメッセージで、バスは旧道と新道を通るのがあるということに気が付いた。旧道は一車線しか無い狭い道を行くのだとか。私が乗ろうと予定していたバスは旧道を通る方で、その到着予定の時刻の返事をした。

岡山から須崎までは一本で行ける南風号の列車に乗った。瀬戸大橋を渡り、四国に入る。3時間半かかって須崎に着き、梼原行きのバスに乗った。
車窓より、なだらかな川では、川に入り釣りをしている人が見える。きっと鮎釣りだろう。
途中から、集落を抜けて本当に狭い道をバスは通り、だんだん高度も上がって行く。
こんな所までと思うような所にも茶畑がある。
かつてのばくろうは牛とともにどのくらいの時間をかけて、梼原と麓の里を行き来したのだろうか。
1時間ちょっとバスに揺られ、とうとう梼原に着いた。バス停に友達が待っていてくれた。真っ黒に日焼けしていた。

「忘れられた日本人」には、興味深い話が幾つもあって、その中に、世間師の話がある。
村人たちの間で、旅をして周った経験のある者を世間師と呼んでいたそうなのだが、また、女たちも世間を知るのに旅に出たという話も出て来る。

今では、テレビもあるし、ネットもあるし、本を読んでもいいし、世の中のことを知る手段はたくさんある訳だが、それでも旅に出るのはいい。
まあ、私の旅なんて、飛行機や新幹線でビュッと行けるし、今回の梼原は友達に車で案内してもらったので、本来の旅とは違うだろうが、梼原に行けて本当に良かった。
友達には心から感謝している。

梼原はとても良かったし、友達に十数年振りに会えたことはもちろん嬉しかった。
梼原の町で元気に過ごしている様子を見聞きして、私も元気をもらった。
いつか、屋久島のうちに来てくれたように、指宿のうちにも遊びに来てください。






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by kiyoko_ki | 2017-09-20 16:10 | 水曜日の色 | Comments(0)

青パパイヤのポトフ

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青パパイヤのポトフ


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道の駅で買って来た地元の青パパイヤで、夏のポトフを作った。

材料は、冷蔵庫にあった骨つきの豚肉、ズッキーニ、じゃがいも、人参、オクラ、それらと買って来た青パパイヤ。
骨つきの豚肉は、グリルで脂を落としてこんがりと焼いた。
材料を入れた鍋にはローリエの葉を。
ぐつぐつ煮込んで、塩胡椒。
骨つきの豚肉が美味しいエキスを出してくれた。

肝心の青パパイヤは、流石やっぱりフルーツで、ほんの少し甘みがある。そしてちょっぴりもちもちした食感だ。
骨つきの豚肉との相性もぴったり。
シンプルに塩胡椒なのも良かったし、ローリエの葉を入れたのも正解。

屋久島では、お向かいのトビウオ漁の漁師さんのお宅にパパイヤの木があった。
それで、引っ越した当初はよくパパイヤをもらった。
庭にお邪魔すると、奥さんが包丁を持って来て、熟した実を切ってくれたものだ。
そのうち、うちの庭に植えたパパイヤの木も育って、実がなるようになった。

ほとんどいつもは、熟したオレンジ色のパパイヤをフルーツとして食べていた。
パパイヤは少し独特の風味があって、それを嫌う人もいるのだが、レモンをかけてやると食べやすくなる。
季節を問わず実って、一年中、庭のパパイヤを楽しんでいたような気がする。

屋久島は温暖なので、パパイヤの木は年中、青々としている。
それが、大寒波が来たある年の冬、庭のパパイヤの木が枯れて倒れてしまったことがある。
島中、何処でもパパイヤが枯れてしまい、パパイヤが枯れたと随分話題になった。
うちの庭の、その枯れて倒れたパパイヤの木は、とても大きな青い実をつけていた。


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それで、その時初めて青パパイヤの料理に挑戦した。
今回のポトフのようなものと、もう一皿はきんぴらのようなものを作った。

が、夫はそれを忘れてしまっていたのか、今回のポトフを食べて、青パパイヤでこういう料理も出来るとは知らなかった、なんて感心している。
そして気に入ったようで、庭の一角を指して、ここにパパイヤを植えようかなどとも言う。

そのうち、今のうちの庭で青パパイヤが出来るようになるかしら、どうかしら。
ちょっと楽しみにしておこう。

青パパイヤを使う、沖縄の料理や、アジアの料理に思いを馳せながら。







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by kiyoko_ki | 2017-08-23 12:07 | 水曜日の色 | Comments(0)

謎を二つ

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謎を二つ


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遠く、波打ち際で、女の子とその父親だろうか二人、遊んでいるようだ。

歩いて来た道から、砂浜へ降りられる階段に腰掛けて、私は波音を聞いている。
静かに波が寄せては返す。
ふと思い出したことがある。

幼稚園生の私は、母に連れられて、海辺のある家を訪れている。
和室の客間に通されて、出された丸い羊羹を眺めている。
こんな丸い羊羹は初めて見た。
初めて訪れた知らない家で、私は少し緊張している。

その家は誰の家だったのだろう。
父の勤め先と関係のある家のような気もするが、でも多分、母の親戚の家なのだろうと思う。
もしかしたら、母の母親、私の会ったことのない祖母の里だろうか。

そんな謎を抱えて、また歩き始める。
ウォーキングに来たつもりでいたが、私の歩く速度は遅いので、あまり運動にはなっていないかもしれない。
私の頭はいつしか空っぽになって、ゆっくり歩き続ける。

風を感じる。案外、海風があるな。
住宅街の中の家ではわからなかった、海辺の風が気持ちがいい。
急に、名古屋の団地の5階に住んでいた頃に、父が5階に吹き抜ける風を涼しいと言って、とても喜んでいたことを思い出す。

しばらくして、住宅街の道へ戻り、川沿いを家へと戻って行く。川べりの風も気持ちがいい。
もう一度、5階の風を楽しんでいる父のことが思い浮かぶ。
ふと更に一つの記憶が蘇る。

その団地に住んでいた頃のことだ。
もうすっかり夜になっていたが、父が歯が痛くて病院へ行くと言い出した。
小学校低学年だった私は、父に付き添って出かけた。バスに乗って出かけたんじゃなかったかしら。
小さい病院の2階に診察室があって、私は暗い待合室の角でじっと座って待っていた。

ずっと後になって母が言うのには、あれは産婦人科だったのよと。
夜、たまたま診てくれる病院が産婦人科しかなかったのか。
痛み止めの薬でももらったのだったかしら。が、本当に産婦人科だったのだろうか。
謎がまた一つ。

そして、私は家にたどり着いた。
リビングにじっとしているだけじゃ思い出さなかったかもしれない、謎を二つ抱えて。






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by kiyoko_ki | 2017-08-16 14:05 | 水曜日の色 | Comments(2)

ヤマモガシ

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ヤマモガシ


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今まで使っていた Windows のパソコンに入っていた写真も全て、iPhone などでも見れるようにしてみた。
あるアプリケーションでは、毎日、過去のその日に写した写真が出て来る。
このところ、何年かに渡って撮った同じ花が出て来ていて、それはヤマモガシの花だ。
初めては屋久島で見ていたが、そうだ今頃なのだった。

屋久島の家の二階のリビングから、何気なく外を見ていたら、お向かいのポンカン畑の防風林の中に白いものが見える。
双眼鏡で見てみたら、ヤマモガシの花だとわかった。へー、家の向かいに咲いていたなんて知らなかった。

ヤマモガシの花に最初会った時は、名前もわからなかったんじゃなかったかしら。
科の見当もつかなかったんじゃないかしら。
そういう時は、図鑑の端から端まで、次々に花の写真を見て行って、名前を調べていた。
三冊に分かれている、山渓ハンディ図鑑の『樹に咲く花』を、順番に見て行ったと思う。

ヤマモガシは、ヤマモガシ科ヤマモガシ属。この科で、日本に自生するのはヤマモガシだけ。
科の見当も付かないはずだ。
分布は、日本では、東海地方以西の本州、四国、九州、沖縄。

その蕾はつんつんと出て、白い花が咲けばくるくると花被片が巻き、雌しべもつんつんと伸びている。
多数の花がブラシ状に咲き長く垂れる。
なかなか面白く、魅力的だ。

ところで、ヤマモガシは、以前に書いたサツマニシキの幼虫の食樹だ。
こちらに引っ越して来てからは、ヤマモガシの葉の上に、サツマニシキの幼虫を見つけることも出来た。


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美しい蝶や蛾も、幼虫のその食樹が無いと生きられない。
サツマニシキを見られるのも、もちろんヤマモガシがあるからだ。

こちらでもヤマモガシは何処にでも見られるわけではないので、もっとヤマモガシが生育できる所があれば、サツマニシキもまたもう少し頻繁に目にすることが出来るだろうにと思う。
今あるヤマモガシが伐採などされないようにと願うばかりだ。

ヤマモガシの話をしていたら、夫が見て来たと言う。
ついこの間の台風で少し傷んでいたらしいが花が咲いて、サツマニシキの幼虫も見かけたそうだ。

ヤマモガシの花やサツマニシキを、この先もずっと、写真に撮り続けて行けますように。






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by kiyoko_ki | 2017-08-09 16:38 | 水曜日の色 | Comments(0)

海風山風

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海風山風


「この家は山風が無いね。」
屋久島に暮らした時は、モッチョム岳からのモッチョムおろしが夏は涼しかった。
「海風も無いね。」
今の家はわりと海に近いが、それは錦江湾で内海だからか、それとも近くの魚見岳が遮っているからか、海風も無い。

こちらに引っ越して来てしばらくは、屋久島と同様、夏にクーラーを入れない生活をしていたが、年々暑さが酷くなり、特に今年はクーラー無しだとちょっと厳しい。
それで夫と二人で、屋久島の夏の海風山風を懐かしんでいるのだ。

もちろん、屋久島の夏の日差しの強さは半端では無い。が、都会のような街の暑さは無いので、天気予報を見ていると、東京や鹿児島市内などに比べて、気温が低かったりした。
それは、こちらでも同じようなのだが、屋久島の方が自然のもたらす涼しさが圧倒的だった。


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屋久島では、私達は最初、平屋に暮らしたが、そのあと夫がどうしてもと言うので、見晴らしの良いデッキ付きの二階屋を建てた。
そのデッキは、二階の高さよりさらに上に昇るように出来ていて、庭仕事を終えて一風呂浴びた夫は、そこで、遅い日没を迎える空とモッチョム岳のシルエットを楽しみながら、夕食前のビールを楽しんでいた。
モッチョムおろしが涼しく、肌寒いくらいなのだ。

二階にはリビングとキッチン、北のモッチョム側には狭かったが夫の書斎コーナーがあって、私も家にいるほとんどの時間を二階で過ごした。
リビングの窓は大きく、南東には海も見えた。デッキからも海は見えた。
集落のはずれで近所の家もほとんどなく、その家よりも高い建物ももちろんなく、カーテンも必要がなかった。
海風山風の通る、リビングの東側の窓辺に私の文机を置いていて、私はよく空を眺めていた。

考えてみると、家に居ながらにして空を眺めるということも、今の生活ではあまり無い。
私が普段座っている、今の家のリビングのテーブルからは、空は少ししか見えない。
そしてその空が、内海に近い場所だからか、何だかどんよりしている日が多い。

今の家でいいことも色々あるのだが、異常な暑さの今年の夏、クーラーを入れて締め切った窓から少し見える空を眺めてみたりする。

ご近所さんはけっこう頑張り屋さんで、クーラー無しで過ごしているお宅もある。
その方が健康的なので見習いたのだが、屋久島の海風山風を思い出してしまうと余計、今年のこの暑さにはなかなか太刀打ち出来ずにいる我が家なのだった。






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by kiyoko_ki | 2017-08-02 17:45 | 水曜日の色 | Comments(0)

丸をした

水曜日の色


丸をした


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祖母は痩せていたので、祖母似だった私も、痩せているおばあちゃんになると思っていた。が、どうもそれは違うようだ。

40代前半まではスマートだったのに、それが普通体型になり、今では中年太りのおばちゃん。福岡でお友達や従姉妹が写真を撮ってくれたのだが、私ってこんな体型! たまには写真も撮ってもらうものだなと思った。

ちょっと前にノースリーブのワンピースを買って、福岡でそれを着てみたら、まあ腕の立派なこと。腕も太るのねと感心してしまった。

今日は気が向かなくてエアロビクスは休んでしまった。実はエアロビクスはあまり好きではなくて。
この間、鹿児島弁で言う「てげてげ」でエアロビクスをやっていたら、仲の良いご近所さんに、「てげてげ」なのをしっかりチェックされてしまった。

その代わり、今日はうちで筋トレをやってみた。お腹周りを中心に、9種類の筋トレ。
筋トレを続けたならば痩せられるって知っている。
母が亡くなる前には、私は近所のスポーツクラブに通っていて、筋トレと水泳にはまって、痩せられたから。お腹だって、結構ぺっちゃんこ、ウエストもあったのよ。

お昼に近くなって、夫は散策に出かけてしまうし、めんどくさいから、カップ麺食べちゃおと思って、棚からリンガーハットの長崎ちゃんぽんを出した。
夫が、それは私が買ったものだよと言う。
そうなのだ、私はカップ麺は食べないから買わないといつも言っている。だが、夫が買ったカップ麺を結局は私が食べてしまうのだ。
それだからか、夫は私より体重が軽い。
しばらく、リンガーハットの長崎ちゃんぽんを眺めていたが、気が変わった。
筋トレもしたんだし、ちゃんとお昼を作ろうと。

まずは、玄米を圧力鍋で炊くところから。
冷蔵庫を見たら、残っているものが色々。大根おろし、みょうがの切ったの、にらの切ったの、アボカドの残りの半分。
味付けの鶏をグリル、もやしと小松菜と人参とひらたけをボイル、にら玉を作って、夫がいつもスライスしてくれているキャベツにトマトときゅうりを添えて、出来上がったのが写真のそれ。
そうそう、この他に納豆も。

急にやる気スイッチが入ってやってみたが、素敵なおばちゃん、その先には素敵なおばあちゃんになる為には、やっぱり頑張らないと。

とりあえず、カレンダーの本日の日付に、ピンクの蛍光ペンで丸をした。





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by kiyoko_ki | 2017-07-26 16:50 | 水曜日の色 | Comments(2)

サツマニシキ

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サツマニシキ


「いいものを見たよ。」と夫が言う。何かと聞いてみたら、サツマニシキを見たのだとか。

初めて見たのは、屋久島のかつての我が家の庭で。
こんなに美しい蛾がいるなんて、驚きだった。
が、屋久島を散策しても、そんなに頻繁に目にすることがなかった。
それよりも、だんだん目にする機会が減って、サツマニシキはどうしてしまったのだろうと思ったりした。

その後、屋久島からは引っ越してしまったので、サツマニシキのことも忘れかけていたのだが、一昨年だったか、夫と散策に出かけた折に、そのサツマニシキに出会えた。
ふわふわ、ゆっくり優雅に、私達の近くを飛んでくれた。
それで、夢中になって、何枚も何枚もカメラのシャッターを切った。
あまり逃げないので、手に止まらせたり、裏から眺めたり、随分、楽しんだものだ。

しばらくして、サツマニシキは、ふわふわふわふわ、私達の頭上へ舞って行き、森の奥深くへと去って行ったのだった。


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「私もまた見たいな。」と呟いてみる。

夫の植物を始め生き物の観察は、こちらに引っ越して来てから、更に執念深く、念入りに、こと細かくなって行ったので、その散策に付き合うと、ほとほと疲れてしまう。
だんだん、私の興味ややりたいことも変化して来たので、夫と一緒に散策するのも、最近では随分と稀なことになってしまった。
夫の方も、気兼ねなく一人で行く方が、長々と観察出来て、写真もじっくり撮れていいようだ。

でも、たまに野山を一緒に歩けるのも、夫の元気なうちかもなと思う。
それで久し振りに、夫と散策して来た。
しばらくぶりの野山の植物達の名前を、少しづつあげて行く。

徐々に、野に分け入って行く。
でたらめな俳句を作りながら、それを口にしてみたりする。

途中、木々の間を通ったら、蜘蛛の巣を壊してしまった。
「ごめんね、蜘蛛の巣壊しちゃった。」
「これも俳句だよね。」
無茶苦茶なことを言い、ああでもないこうでもないと言い合ってみる。

その日、残念ながら、サツマニシキは現れなかったが、またたまに、こうして夫と散策することもした方がいいかなと思った。
そのうち、サツマニシキにもまた会えるかもしれないし。
変な俳句も出来るかもしれないし。





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by kiyoko_ki | 2017-07-19 09:07 | 水曜日の色 | Comments(2)

山笠

水曜日の色


山笠


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父も母も福岡の出身だ。
福岡でも、博多と福岡とに二分されるが、母は博多っ子だ。
母の実家は型染めの染物屋で、私の祖父にあたる、母の父親は三代目だった。

私が生まれて割とすぐに、その母方の祖父は亡くなった。だからその祖父には会ったことが無い。母の母親、私の祖母にも会ったことが無い。その祖母は、母の小学校の入学式の日に亡くなってしまっていたからだ。

母は幼稚園の頃、毎朝、忙しい染物屋の女房である母親の背中に向かって、「母ちゃん、行ってくるね」と言って、出かけていたそうだ。
母には、一番上に兄、その下に四人の姉、そして弟がいた。

博多に住んでいるとなれば、7月には博多祇園山笠がある。
母のもとには、確か、山笠の写真があった。
祖父が、東流の長を務めた時の写真のようだ。母やすぐ上の伯母達もまだ小さく、女の子だけれども法被を着て、その写真に写っていた。
その幼い頃の母は、いかにも末の妹らしい、ちょっとやんちゃな顔付きをしていた。

母親が亡くなった時、中学一年生になる一番上の伯母は、父親に「私が何でもやるから、再婚しないでほしい」と懇願したそうである。
それで、祖父は再婚しなかった。
そして、その伯母は、一番下の妹、私の母の望みは、何でも聞いてあげようと思っていたそうなのである。

91歳のその伯母に会いに行き、また、母の弟、私の叔父にも会った。
染物屋三代目の祖父母の話、四代目を継いだ伯父伯母の話、そして母の話を聞いた。
だんだん、そんな昔話を聞ける機会も少なくなって来ている。

このところ、山笠の頃、祖父母たち、父母の墓参りに、博多を訪れている。

昨年は、初めて、追い山笠ならし、集団山見せ、追い山笠と、舁き山笠を初めて、間近にこの目で見た。
追い山笠ならしには、櫛田神社のすぐ前に陣取って、一番山笠の博多祝い唄を聞いた。母から唄ってもらっていて知っていたその祝い唄に鳥肌が立った。私も共に手を打った。
集団山見せでは、福岡市役所前での、博多手一本が胸に響いた。
追い山笠には、夜明け前の祇園の街角で山笠を待った。
山笠を担ぐ舁き手以外にも、老いも若きも、じいちゃんも孫も、博多の町を駆け抜けて行った。

今年も、博多の町には、飾り山笠が立っている。
追い山のクライマックスに向け、博多の町は熱くなって行く。
若き日の祖父と幼い母の法被姿も、博多の町を駆けて行く。





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by kiyoko_ki | 2017-07-12 16:25 | 水曜日の色 | Comments(2)

エトセトラエトセトラ・・・きよこ


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