籐の椅子
2015年 04月 25日
椅子のお話が、なかなか面白いですね。
さようならした籐の椅子とあのテーブルも。
この対で、ダイニングテーブルと椅子として利用して来ました。
長年愛用しましたね。
東京から福岡に持って来る折には、
母は、籐の部分を張り替えてもらっていました。
夫もこの籐の椅子はいいねと言っていたし、
張り替えられるよと伝えましたが、結局、さようならと言うことに。
夫は、塗り替えたり、張り替えたりまでして、
家具を使い続けるということが、わからないようでした。
が、この二つは、もう古いものでしたので、私も結局はそれで了解しました。
夫婦で、いろいろ、意見の合わないことがありますね。
うちでは、生活全般において、たいてい夫の意見に沿って来ました。
それって、あまり面白いことではありませんが、
私はもうだいぶ慣れてしまっていました。
ところが、母の生前の話ですが、
夫に対して、私がイエスマンで居ることに、
実は、うちの母は我慢ならないと思っていたようです。
父とも、自分の好きなように過ごして来た母でありましたし。
福岡の母の住まい、母の城では、
夫から母への意見も控えてもらわないといけなかったのです。
それに気が付いてあげられなかったことに、
母が亡くなってから気が付いて、すまなかったなと思っています。
もちろん、母は夫に対して、感謝の念も持ち合わせていましたが、
母は母、なのでした。
さようならした籐の椅子とあのテーブルも。
この対で、ダイニングテーブルと椅子として利用して来ました。
長年愛用しましたね。
東京から福岡に持って来る折には、
母は、籐の部分を張り替えてもらっていました。
夫もこの籐の椅子はいいねと言っていたし、
張り替えられるよと伝えましたが、結局、さようならと言うことに。
夫は、塗り替えたり、張り替えたりまでして、
家具を使い続けるということが、わからないようでした。
が、この二つは、もう古いものでしたので、私も結局はそれで了解しました。
夫婦で、いろいろ、意見の合わないことがありますね。
うちでは、生活全般において、たいてい夫の意見に沿って来ました。
それって、あまり面白いことではありませんが、
私はもうだいぶ慣れてしまっていました。
ところが、母の生前の話ですが、
夫に対して、私がイエスマンで居ることに、
実は、うちの母は我慢ならないと思っていたようです。
父とも、自分の好きなように過ごして来た母でありましたし。
福岡の母の住まい、母の城では、
夫から母への意見も控えてもらわないといけなかったのです。
それに気が付いてあげられなかったことに、
母が亡くなってから気が付いて、すまなかったなと思っています。
もちろん、母は夫に対して、感謝の念も持ち合わせていましたが、
母は母、なのでした。
by kiyoko_ki
| 2015-04-25 16:52
| 福岡