カテゴリ:水曜日の色( 16 )

水曜日の色

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ツワブキの花のちらし寿司と水彩画


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下田に行ったら、ツワブキがまるで屋久島のように明るく元気よく咲いていた。下田の海は青く、日の当たる坂道はぽかぽか陽気で、そんな風景や日差しが、まるで屋久島のようにと私に思わせたのかもしれなかった。

帰って来て何日かして、お昼にちらし寿司を買って来て食べたのだが、ツワブキの花のちらし寿司のことを思い出した。
それは、私が毎日読むのを楽しみにしていた、屋久島の地元のガイドさんの日記のサイトに紹介されてあったのだが、ツワブキの黄色い花びらを散らしたちらし寿司なのだった。

ツワブキは、屋久島の家の周りにもたくさん咲いていて、花びらだって摘み放題だったが、ついにそのちらし寿司を自分で作ってみたことは無かったが、印象深かった。

伊東に越して来て、この秋、食用菊というものを見かけて初めて買ってみた。何年か前に、北の方に住む知人が、食用菊を料理したことを話してくれたことがあったが、自分で料理したのももちろん初めてだった。さっと湯がいて甘酢和えにした。おつな味がした。

ツワブキの花びらだって食べたっていい訳だ。屋久島では、その若葉や若い茎は食材として楽しまれていたのだし。
あんなにたくさん咲いていたのに、惜しいことをしたかもな。
どんな味が、どんな香りがしたことだろう。

ところで、そのガイドさんとは、宮之浦の環境文化村センターでお会いしたことがある。
彼女は水彩画を描く人でもあって、その個展をやっている場にたまたま遭遇したからだ。

彼女の水彩画はけっこう大作だった。
元気いっぱいカラフルで、宇宙を描いているような、はたまた生き物の細胞を描いているような、自由でのびのびした絵だった。
私は体調を崩していた頃で、その当時はそれまでやっていた染め織りもあまり出来なくて、そんな絵を描ける、日に焼けた彼女がとても眩しく、羨ましかった。

彼女の絵を前にして、自分も色を扱うことが好きなこと、ちょっと体調を崩していること、彼女の絵が好ましいこと、その日たまたま彼女の絵を見ることが出来て嬉しいことなど話した。
彼女は玉ねぎの絵も出していて、玉ねぎが芽を出して、それを毎日観察して描いていたら楽しかったことなど話してくれた。その玉ねぎの芽は何処までも何処までも伸びて行きそうで、その絵は生命力に満ちていた。

12、3年前のことだが、彼女はきっと今でも山や川に分け入ってガイドをしているだろうし、うちでは大作の絵も描き続けているだろうなと思う。
そして、ツワブキの花のちらし寿司も作り続けていることだろう。あの屋久島で。






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by kiyoko_ki | 2018-11-28 10:33 | 水曜日の色 | Comments(0)

優しく降ってくれれば

水曜日の色

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優しく降ってくれれば


雨は優しく降ってくれれば、いいものであるのに。

先日の朝、草刈りをしていたら雨が降り出した。もう少し草刈りを続けたかったので、そのまま雨に濡れながら作業を続けた。
屋久島の家の向かいのポンカンタンカン畑のおじさんも、合羽を着て雨の日でも軽トラでやって来て、草刈りをしていたものだなと思い出す。
作業をしていて雨が心地いいくらいだった。が、じきに本降りになり、とうとう退散した。

自室に入って、窓際の Mac から静かなクラシックを部屋に流す。
音は小さめに、窓の外の雨音が聞こえる様に。


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雨は優しく降ってくれれば、心安らぐ時もあるのに。

つらつらと雑多な事を考えていたら、ふと、こちらに引っ越して来てから遠ざかっていた俳句の本でも紐解いて、雨の句を拾ってみようかしらと思い付いた。
一冊本を取り出してみたが、なかなか今の気持ちにぴんと来る俳句に巡り会えない。
それで一端、本を閉じた。

指宿では、私は俳句に出会えた。
ノートを広げてみると、雨の句をたくさん作っていた。

  月桃の雫の満ちて梅雨の闇     清子
  きぎす鳴く雨音低き夕厨
  雨音の優しきも入れ南瓜煮る
  ギャラリーの扉緑雨に開かれし
  針仕舞ふ薄紫の梅雨の夕

鹿児島からの先生を迎えての句会では、俳号を考える様に言われて、その宿題を忘れていた私は、当日咄嗟にレインと名乗った。
屋久島でも、指宿でも、大変な大雨も経験したが、それでも雨を憎めなかった。

祖父は晩年、やはり俳句をやっていて、俳号は雨郷だった。
孫が雨の郷の様な所に住むとは思ってもみなかっただろうな。

レインという俳号についての夫の感想はあまり良く無く、のちに代わりに、私は紫が好きだからと言ったら、紫雨、しう、という俳号を一緒に考えてくれた。
さて、その俳号を名乗る日はいつか来るだろうか。

雨は優しく降ってくれれば、様々な思いを心に巡らせてくれるものなのに。






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by kiyoko_ki | 2018-07-11 09:11 | 水曜日の色 | Comments(0)

7月になって

水曜日の色

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7月になって


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7月になって今年も半分終わってしまった。
指宿から伊東に引っ越そうという話が出たのは、お正月明け間も無くだったから慌ただしい半年だったが、かなり落ち着いて来た。

指宿の家は温泉もあったしなかなか立派な造りで、もちろん良い面はあったのだが、私の寝室は和室の押入れをちょっと手直しして衣類を収納していたので使いにくかったり、本棚として使っていた作り付けの棚は、前の家主さんはきっとテレビでも置いていたのではないかなと思えるような棚だったので、そこに本を並べていたがあまり具合がいいものでは無かったりした。

伊東で、やはり中古のこの家を選んだのは、環境もあるが、私は家としての間取りや特に気に入ったのはキッチンなど、ちょっと古めかしさもある指宿の家とは違う新しい感覚に惹かれた。
もしうちに新築を建てる余裕があったとしても、なかなかこういう新しい発想にはならなかったのではと思っている。

そんなに気に入っている家に越して来たというのに、私は最低限の家事だけして、うちに居る時には何をするという訳でもなく、だから当たり前だが退屈だと感じるようになって来た。
日々の暮らしで退屈だと思うのは今に始まったことではなく、指宿でも後半の何年かはそんな心持ちがよくあった。心の張り合いがあまり無かった。俳句や水泳もしていたというのに。

それは考えてみると母を亡くしてからで、それまでは私は頑張ってエクササイズに励んでまあまあの体型をキープしていたり、料理も私なりにではあるがとても頑張って楽しく作っていた。
週3回のジムの合間に少し手の込んだ料理もしたり、たまにはパンを焼き、また時にはお菓子を作り、今考えると本来怠け者の私が実によくやっていたものだと感心するくらい。
そして、そういう暮らしではもちろん心も元気で、退屈なんていうことを知らなかった。

母は突然亡くなったのでそれについて思うことはあったが、母の亡き後の雑多なことは割合スムーズに終わって、またエクササイズに励んだり、料理を頑張ったり、そういう暮らしに戻れるはずだった。それが何故か出来なくなっていた。
指宿での後半の何年かは、そんな暮らしだった。

この伊東の新居でもまたそんな風になりかけていたのだが、7月になってごく最近、少し考えてもみて、えいやっとうちでも動けるようになって来た。

まず早起きをして、軽くヨガやストレッチなどして、坂の下までウォーキングする。
夫が剥いてくれた果物から始まる朝食を、夫と話しながらとる。
朝食の後は少し庭の手入れをする。そんな風に朝が始まる。
働き者の主婦だったら、その後、洗濯をしながら、すぐに掃除に取り掛かるところだろうが、朝は脳の働きが良いそうなので、大学ノートに書き物をする。何冊か読んでいる本の中のうち、朝一番はちょっと手強い本を読む。そして本を読む合間、合間に家事をする。
午後にはまた本の合間に、編み物をする。ピアノの練習をする。映画を見るのもいいかもね。

そんなうちでの生活パターンが出来て、心の張り合いが持てるようになって来た。
少しづつ、引っ越しの時にやり残した断捨離、物の整理整頓もして、この家で気持ちよく暮して行きたい。






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by kiyoko_ki | 2018-07-04 18:42 | 水曜日の色 | Comments(0)

手石島

水曜日の色

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手石島


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寿美江おばさんから夫に電話があった。
96歳の寿美江おばさんは耳は少し遠いもののお元気で、お一人暮らしだそうだ。
近くに孫や曾孫が住んでいる。

うちの引越しの葉書が届いて電話をくれたのだが、盛んに伊東が懐かしいと言っていたとか。
聞けば、伊東におじさんが住んでいて、女学校時代に濱子さんと一緒に夏休みには伊東へよく遊びに来ていたらしい。

小さい島があってそこまで泳いだと。
手石島?と夫が聞く。
そうそう!と寿美江おばさん。
濱子さんが呼んだのよと、寿美江おばさんは言った。

濱子さんというのは夫の母親。夫が小学校の小さい時、亡くなった。
寿美江おばさんは、夫の父親の妹。
そうか、濱子さんは親友のお兄さんと結婚したんだ。知らなかった。

写真で見せてもらって知っている濱子さんは、色白で華奢な女性だ。
濱子さんも手石島まで泳いだのかしら?と、私。
昔の人は達者だったからねと、夫。

それで、寿美江おばさんと濱子さんが泳いで渡った手石島を、見に行ってみようじゃないかと出かけた。

この日は、山手から手石島を眺めた。
海岸線は見えないが、木々が鬱蒼と茂り下の方まで続いているようだ。
手石島と少し離れて、左に初島が見える。
手石島に波がぽちゃぽちゃしている所があって、そこが浅瀬だろうか。寿美江おばさんと濱子さんはその辺りから手石島に上ったかしら。
そしてこちらの山の方を眺めたこともあったかしら。

手石島が見えるこの見晴らしの良い場所にはベンチがあって、しばらくベンチに座って、梅雨晴れ間の海や島の景色を楽しんだ。

それから私達は、山を少し登ってみたり、降りて来て道沿いにまた少し歩いてみたりして、手石島が見えるこの山をちょっぴり偵察してうちへ帰った。
いい日だったな。
また手石島を見に来よう。






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by kiyoko_ki | 2018-06-13 13:49 | 水曜日の色 | Comments(0)

坂道を下って

水曜日の色

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坂道を下って


坂道を下って郵便局まで歩いて行ってみることにした。
郵便局じゃなくても、うちからは何処へ行くにも坂道を下るしか無いのだけれども。

坂道を下る途中に、木々の枝を払って中の林に出入り出来るような空間がある所があって、それを覗いてみると、屋久島の防風林の木々の空いた所からポンカンタンカン畑を覗いているような気がした。


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屋久島に住んでいた時は、うちから坂道を下ったり登ったりして散歩していた。
うちから向かいのおじさんのポンカンタンカン畑の防風林に沿って、県道までちょっとした下り坂で、県道を渡ってまた違う人のポンカンタンカン畑の防風林に沿ってさらに下って行くと、今度は広々としたじゃがいも畑に突き合たった。そのじゃがいも畑の向こうには海が見えた。じゃがいも畑を横目で見ながら道に沿ってしばらく行くと急坂があって、それを下ると恵比寿様の祀られた集落の小さな魚港に出れた。

じゃがいも畑の辺りから来た道をうちの方へ振り返ると、モッチョム岳が聳えていた。じゃがいも畑をまた横目で見ながら漁港のある方向とは反対にずんずん進むと、さらにモッチョム岳がよく見える場所があった。もっと進むと道はやがて今度は急な登り坂になり、その坂道を登り切ると隣の集落にある郵便局へ行けた。

郵便局の局長さんの顔をよく見知っていたが、気が付いたら退職されたのか顔を見かけなくなっていた。
が、ある時、うちのオオミノトケイソウの株を分けて欲しいとやって来たレンタカー屋さんが、その郵便局の元局長さんだった。
話が脱線するが、うちのオオミノトケイソウは隣の隣の集落の人にもやはり分けてあげた。郵便局の元局長さんからも、隣の隣の集落の人からも、そのお宅の株をうちに分けてもくれて、オオミノトケイソウの株の分け合いをしたのだった。

今のうちから坂道を下って郵便局に着いてみると、おばあさんが二人、もう用事は済んだのか長椅子で寛いでいた。
私はやっと出すことになった引越し葉書の印刷の失敗した物を一枚出して、さらに足りない枚数を言って葉書を買う。係の人はもう私の顔を覚えてくれているみたいだ。
通帳も記帳してもらった。この郵便局は小さな簡易郵便局でATMが無いのだった。
私の後には、何処かの作業服姿の若い男の人がやって来て、何かの行事のことを郵便局の人と話ながら用事を済ませている。
屋久島のあの局長さんの居た郵便局と似たり寄ったりの様子だ。

近くにコンビニがあったので寄ってみた。思わず新聞を買って、水を買って、3時のおやつを一つ買って、ちょっぴり町の雰囲気も楽しんだ。
買った水を飲みつつ、坂道を下った時と同じように、立ち話をしているおばさん達や、乳母車を引いている若いお母さんや、通りがかったおじさんとこんにちはと挨拶を交わしながら、家々の点在する坂道を登って小高い山にあるうちへ帰った。






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by kiyoko_ki | 2018-06-06 14:39 | 水曜日の色 | Comments(0)

ヒメシャラ

水曜日の色

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ヒメシャラ


こちらに越して来て、新居であるうちから下る狭い坂道の途中にヒメシャラの木がある。この辺りの標高はたかだか200メートル位なので、その木肌はヒメシャラなのだが、果たして本当にヒメシャラなのだろうかとも思ったりしたが間違いは無さそうで、白っぽい薄茶や灰色がかった緑や赤っぽい煉瓦色などの混じる樹皮の覆う木肌を触ってみると、つるんとした冷たいあの感触がするのだった。


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夫と私は結婚して東京に3年半程暮らして、主に休日には高尾山やその周辺を歩いたりしていたが、時にはその頃は泊りがけで出かけて散策を楽しむこともあって、二人で箱根に行ったことがあった。
箱根の駒ケ岳に登った時だが、私は軽い高山病なのか頭痛に悩まされてしまい、点在するヒメシャラに会うたびにに抱きついて、痛い頭をその木肌で冷やしたりして歩いたのだった。

東京より移住した、屋久島の標高の高い山にもヒメシャラはあって、ヒメシャラに会えばやはり、その木肌を触って冷たい感触を楽しんでいた。

私のヒメシャラの記憶は恐らくそのふたつなのであったが、ヒメシャラは私にとって忘れ難い木のひとつで、引越して来たらヒメシャラがあったというのはかなり喜ばしい。

うちの周りには造園業を営んでいる場所が多くあり、そんな斜面が続く尾根道といった感じの農道脇にもヒメシャラの木はあって、昨日は通りがかったら、低い枝に咲いている花を見ることが出来た。ヒメシャラはツバキ科で、花は正に小ぶりな白い椿だ。


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坂道を下ったヒメシャラの辺りに居ると、時々この坂道を歩いていると言う方と出会って立ち話をした。尋ねられたので引越して来たことを伝えると、鹿児島ナンバーの車のおうちですねとすぐにわかったようだ。伊豆でも天城にはヒメシャラが多いそうで、天城のヒメシャラ林の話を聞いた。 

ヒメシャラを見上げると、花の名残があるようだが高くてよくわからない。が、もう少し下った所の地面に、昨日見たのと同じ、小ぶりな白い椿の形の花が落ちていた。それは椿に特有のぽとりと花ごとそっくり落ちた様子で、徐々に土と馴染もうとしているようだった。 

ところで、うちからは富士山が見える。その東には丹沢の大山も見えて、その真ん中辺りにやはり高い山が見える。山岳地図で確認してみて、その真ん中は箱根の山ではないだろうかと見当を付けた。ヒメシャラと出会った駒ケ岳が見えるというのなら何とも嬉しい。

屋久島、指宿と鹿児島に15年暮らして、その前の二人で暮らし始めた東京近くへ舞い戻って来て、何だか原点に戻ったというような気持ちがする。目にする植物も懐かしい物でいっぱいだ。

毎日、うちから坂道を下ってヒメシャラに会いに行きたい。ヒメシャラは落葉樹だが、冬のヒメシャラを私は知らない。箱根の駒ケ岳に行ったのはヒメシャラの葉の青々と茂った季節だったし、屋久島のヒメシャラのある場所は、冬積雪のある所だったからそんな時期に行ったことが無かった。

一年を通して会うヒメシャラは一体どんな様子だろうか。
そして坂道にヒメシャラのあるこの小高い山の季節の移ろいはどんなものだろうか。







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by kiyoko_ki | 2018-05-30 15:19 | 水曜日の色 | Comments(0)

父の旅、私の旅

水曜日の色

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父の旅、私の旅

高千穂行きの言い出しっぺは、元看護婦さんのお姉さまで、実は彼女は指宿が何処で、高千穂が何処なのか、詳しくは分かってはいないようなのだった。
が、高千穂に行きたいと言ってるよと、元パタンナーのお姉さまから聞いた時に、せっかくはるばる東京から九州に来るのだし、私もお神楽を見たかったので一緒に行ってもいいなと思った。
それで行くことになった。

指宿の鹿児島県と高千穂の宮崎県はお隣同志だけれども、鹿児島県の南端と宮崎県の北端だ。
だから結構遠い。それにローカル線なので電車やバスの待ち時間も長い。
そして気になることに、指宿枕崎線も日豊本線も、降雨量が多くなると電車が止まってしまうことがある。だからずっと天気が心配だった。
でも、私達三人は晴れ女で、傘マークのあった天気予報を見事に覆し、行き帰りに時間はかかったものの、スムーズに高千穂に行って帰って来れた。

私は日本の神話とか詳しくは無いのでぼんやりとしか判っていないが、高千穂のお神楽を見てみたら、ちょっと古事記なんかも斜め読みでもしてみると面白いかなと思ったりした。

父は70代のある時期、日本神話にはまっていたことがあって、私はあまり関心がなかったので父の話をよく覚えていないのだが、夫がお父さんが長々と日本神話の話をしていたと言っている。
その父は、東京時代はアマチュア山岳映画を作っていたが、好きな山域は北海道と九州の山々だった。
JRのジパング倶楽部の会員であった父は、北海道も九州もひたすら電車の旅をしていた。私が取ってある父の遺品の一つに旅の記録資料のファイルがある。
その中には、今から25年前の6月5日から6月23日までの九州縦断の旅の日程表がある。
この旅は、別の手帳を見てみると、退職記念の旅であったらしいことが判る。

新大阪から寝台列車で別府に着いている。
そして九重、阿蘇を経て、日南海岸に辿り着いていて、えびの高原、高千穂峰、開聞山麓、指宿、当時の西鹿児島、現在の鹿児島中央から博多へ出て、東京へ帰って来ている。
阿蘇方面からどうやって日南海岸へと思ってよく日程表を見てみたら、私達も乗ったバス経路で、阿蘇下田から延岡までバスで出ているのだ。
ちなみに、高千穂峰というのは、私達が行った高千穂よりも南の霧島連峰の第二峰だ。


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父が写っている写真のバックの指宿の駅舎は、色は違うが今と変わらない。
後に、娘がその指宿に住むようになるとは思ってもみなかったことだろうが。
途中、えびの高原に行くのには、吉都線、えびの高原線というのに乗っている。そのうち、私も乗ってみたいものだ。

事細かな旅の日程表を作っていた父の血が、私にもちょっと流れているようだ。
父は、旅に出かける前に、分厚くて大きな時刻表で調べたり、現地に電話をしたりしていた。
今の私はネットで調べている。
父も私も、旅の前、旅の最中、旅のあとと、三段階の旅を楽しんでいるのだった。







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by kiyoko_ki | 2017-10-18 21:44 | 水曜日の色 | Comments(0)

梼原

水曜日の色


梼原


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梼原に行く前に、知人がたまたま読んでいた「忘れられた日本人」に、梼原の話が出てくると教えてくれた。
民俗学の宮本常一のその本を夫の本棚に見つけので、旅の荷物に入れた。

友達が住んでいる高知の梼原という所へ、鹿児島の指宿に住む私が行くには、電車と新幹線でひたすら陸路を行く、或いは飛行機を使う、或いは九州から四国へフェリーで渡るなど考えられたが、確実に簡単に行けそうな電車と新幹線で行くことにした。
途中、九州新幹線はよく乗っているし、トンネルも多いので少し退屈だ。それで九州新幹線で、「忘れられた日本人」の土佐梼原でばくろうをしていた老人の話を読んだ。ばくろうというのは牛や馬の仲買人のことで、その老人は牛を扱っていた。話の中心はばくろうのことよりも、おおらかな時代の男と女の話であったりするのだが。

梼原は遠い。指宿を朝出ても、暗くなってからしか梼原に着かない。それで、新幹線で着く岡山に前泊することにしていた。夜、岡山の宿で、友達よりiPhoneにメッセージが届いた。
岡山から高知を経て須崎という駅まで行く。そこからバスでやっと梼原に辿り着く。
友達のメッセージで、バスは旧道と新道を通るのがあるということに気が付いた。旧道は一車線しか無い狭い道を行くのだとか。私が乗ろうと予定していたバスは旧道を通る方で、その到着予定の時刻の返事をした。

岡山から須崎までは一本で行ける南風号の列車に乗った。瀬戸大橋を渡り、四国に入る。3時間半かかって須崎に着き、梼原行きのバスに乗った。
車窓より、なだらかな川では、川に入り釣りをしている人が見える。きっと鮎釣りだろう。
途中から、集落を抜けて本当に狭い道をバスは通り、だんだん高度も上がって行く。
こんな所までと思うような所にも茶畑がある。
かつてのばくろうは牛とともにどのくらいの時間をかけて、梼原と麓の里を行き来したのだろうか。
1時間ちょっとバスに揺られ、とうとう梼原に着いた。バス停に友達が待っていてくれた。真っ黒に日焼けしていた。

「忘れられた日本人」には、興味深い話が幾つもあって、その中に、世間師の話がある。
村人たちの間で、旅をして周った経験のある者を世間師と呼んでいたそうなのだが、また、女たちも世間を知るのに旅に出たという話も出て来る。

今では、テレビもあるし、ネットもあるし、本を読んでもいいし、世の中のことを知る手段はたくさんある訳だが、それでも旅に出るのはいい。
まあ、私の旅なんて、飛行機や新幹線でビュッと行けるし、今回の梼原は友達に車で案内してもらったので、本来の旅とは違うだろうが、梼原に行けて本当に良かった。
友達には心から感謝している。

梼原はとても良かったし、友達に十数年振りに会えたことはもちろん嬉しかった。
梼原の町で元気に過ごしている様子を見聞きして、私も元気をもらった。
いつか、屋久島のうちに来てくれたように、指宿のうちにも遊びに来てください。






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by kiyoko_ki | 2017-09-20 16:10 | 水曜日の色 | Comments(0)

青パパイヤのポトフ

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青パパイヤのポトフ


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道の駅で買って来た地元の青パパイヤで、夏のポトフを作った。

材料は、冷蔵庫にあった骨つきの豚肉、ズッキーニ、じゃがいも、人参、オクラ、それらと買って来た青パパイヤ。
骨つきの豚肉は、グリルで脂を落としてこんがりと焼いた。
材料を入れた鍋にはローリエの葉を。
ぐつぐつ煮込んで、塩胡椒。
骨つきの豚肉が美味しいエキスを出してくれた。

肝心の青パパイヤは、流石やっぱりフルーツで、ほんの少し甘みがある。そしてちょっぴりもちもちした食感だ。
骨つきの豚肉との相性もぴったり。
シンプルに塩胡椒なのも良かったし、ローリエの葉を入れたのも正解。

屋久島では、お向かいのトビウオ漁の漁師さんのお宅にパパイヤの木があった。
それで、引っ越した当初はよくパパイヤをもらった。
庭にお邪魔すると、奥さんが包丁を持って来て、熟した実を切ってくれたものだ。
そのうち、うちの庭に植えたパパイヤの木も育って、実がなるようになった。

ほとんどいつもは、熟したオレンジ色のパパイヤをフルーツとして食べていた。
パパイヤは少し独特の風味があって、それを嫌う人もいるのだが、レモンをかけてやると食べやすくなる。
季節を問わず実って、一年中、庭のパパイヤを楽しんでいたような気がする。

屋久島は温暖なので、パパイヤの木は年中、青々としている。
それが、大寒波が来たある年の冬、庭のパパイヤの木が枯れて倒れてしまったことがある。
島中、何処でもパパイヤが枯れてしまい、パパイヤが枯れたと随分話題になった。
うちの庭の、その枯れて倒れたパパイヤの木は、とても大きな青い実をつけていた。


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それで、その時初めて青パパイヤの料理に挑戦した。
今回のポトフのようなものと、もう一皿はきんぴらのようなものを作った。

が、夫はそれを忘れてしまっていたのか、今回のポトフを食べて、青パパイヤでこういう料理も出来るとは知らなかった、なんて感心している。
そして気に入ったようで、庭の一角を指して、ここにパパイヤを植えようかなどとも言う。

そのうち、今のうちの庭で青パパイヤが出来るようになるかしら、どうかしら。
ちょっと楽しみにしておこう。

青パパイヤを使う、沖縄の料理や、アジアの料理に思いを馳せながら。







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by kiyoko_ki | 2017-08-23 12:07 | 水曜日の色 | Comments(0)

謎を二つ

水曜日の色


謎を二つ


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遠く、波打ち際で、女の子とその父親だろうか二人、遊んでいるようだ。

歩いて来た道から、砂浜へ降りられる階段に腰掛けて、私は波音を聞いている。
静かに波が寄せては返す。
ふと思い出したことがある。

幼稚園生の私は、母に連れられて、海辺のある家を訪れている。
和室の客間に通されて、出された丸い羊羹を眺めている。
こんな丸い羊羹は初めて見た。
初めて訪れた知らない家で、私は少し緊張している。

その家は誰の家だったのだろう。
父の勤め先と関係のある家のような気もするが、でも多分、母の親戚の家なのだろうと思う。
もしかしたら、母の母親、私の会ったことのない祖母の里だろうか。

そんな謎を抱えて、また歩き始める。
ウォーキングに来たつもりでいたが、私の歩く速度は遅いので、あまり運動にはなっていないかもしれない。
私の頭はいつしか空っぽになって、ゆっくり歩き続ける。

風を感じる。案外、海風があるな。
住宅街の中の家ではわからなかった、海辺の風が気持ちがいい。
急に、名古屋の団地の5階に住んでいた頃に、父が5階に吹き抜ける風を涼しいと言って、とても喜んでいたことを思い出す。

しばらくして、住宅街の道へ戻り、川沿いを家へと戻って行く。川べりの風も気持ちがいい。
もう一度、5階の風を楽しんでいる父のことが思い浮かぶ。
ふと更に一つの記憶が蘇る。

その団地に住んでいた頃のことだ。
もうすっかり夜になっていたが、父が歯が痛くて病院へ行くと言い出した。
小学校低学年だった私は、父に付き添って出かけた。バスに乗って出かけたんじゃなかったかしら。
小さい病院の2階に診察室があって、私は暗い待合室の角でじっと座って待っていた。

ずっと後になって母が言うのには、あれは産婦人科だったのよと。
夜、たまたま診てくれる病院が産婦人科しかなかったのか。
痛み止めの薬でももらったのだったかしら。が、本当に産婦人科だったのだろうか。
謎がまた一つ。

そして、私は家にたどり着いた。
リビングにじっとしているだけじゃ思い出さなかったかもしれない、謎を二つ抱えて。






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by kiyoko_ki | 2017-08-16 14:05 | 水曜日の色 | Comments(2)

エトセトラエトセトラ・・・きよこ


by kiyoko_ki
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