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優しく降ってくれれば

水曜日の色

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優しく降ってくれれば


雨は優しく降ってくれれば、いいものであるのに。

先日の朝、草刈りをしていたら雨が降り出した。もう少し草刈りを続けたかったので、そのまま雨に濡れながら作業を続けた。
屋久島の家の向かいのポンカンタンカン畑のおじさんも、合羽を着て雨の日でも軽トラでやって来て、草刈りをしていたものだなと思い出す。
作業をしていて雨が心地いいくらいだった。が、じきに本降りになり、とうとう退散した。

自室に入って、窓際の Mac から静かなクラシックを部屋に流す。
音は小さめに、窓の外の雨音が聞こえる様に。


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雨は優しく降ってくれれば、心安らぐ時もあるのに。

つらつらと雑多な事を考えていたら、ふと、こちらに引っ越して来てから遠ざかっていた俳句の本でも紐解いて、雨の句を拾ってみようかしらと思い付いた。
一冊本を取り出してみたが、なかなか今の気持ちにぴんと来る俳句に巡り会えない。
それで一端、本を閉じた。

指宿では、私は俳句に出会えた。
ノートを広げてみると、雨の句をたくさん作っていた。

  月桃の雫の満ちて梅雨の闇     清子
  きぎす鳴く雨音低き夕厨
  雨音の優しきも入れ南瓜煮る
  ギャラリーの扉緑雨に開かれし
  針仕舞ふ薄紫の梅雨の夕

鹿児島からの先生を迎えての句会では、俳号を考える様に言われて、その宿題を忘れていた私は、当日咄嗟にレインと名乗った。
屋久島でも、指宿でも、大変な大雨も経験したが、それでも雨を憎めなかった。

祖父は晩年、やはり俳句をやっていて、俳号は雨郷だった。
孫が雨の郷の様な所に住むとは思ってもみなかっただろうな。

レインという俳号についての夫の感想はあまり良く無く、のちに代わりに、私は紫が好きだからと言ったら、紫雨、しう、という俳号を一緒に考えてくれた。
さて、その俳号を名乗る日はいつか来るだろうか。

雨は優しく降ってくれれば、様々な思いを心に巡らせてくれるものなのに。






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by kiyoko_ki | 2018-07-11 09:11 | 水曜日の色 | Comments(0)

7月になって

水曜日の色

15

7月になって


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7月になって今年も半分終わってしまった。
指宿から伊東に引っ越そうという話が出たのは、お正月明け間も無くだったから慌ただしい半年だったが、かなり落ち着いて来た。

指宿の家は温泉もあったしなかなか立派な造りで、もちろん良い面はあったのだが、私の寝室は和室の押入れをちょっと手直しして衣類を収納していたので使いにくかったり、本棚として使っていた作り付けの棚は、前の家主さんはきっとテレビでも置いていたのではないかなと思えるような棚だったので、そこに本を並べていたがあまり具合がいいものでは無かったりした。

伊東で、やはり中古のこの家を選んだのは、環境もあるが、私は家としての間取りや特に気に入ったのはキッチンなど、ちょっと古めかしさもある指宿の家とは違う新しい感覚に惹かれた。
もしうちに新築を建てる余裕があったとしても、なかなかこういう新しい発想にはならなかったのではと思っている。

そんなに気に入っている家に越して来たというのに、私は最低限の家事だけして、うちに居る時には何をするという訳でもなく、だから当たり前だが退屈だと感じるようになって来た。
日々の暮らしで退屈だと思うのは今に始まったことではなく、指宿でも後半の何年かはそんな心持ちがよくあった。心の張り合いがあまり無かった。俳句や水泳もしていたというのに。

それは考えてみると母を亡くしてからで、それまでは私は頑張ってエクササイズに励んでまあまあの体型をキープしていたり、料理も私なりにではあるがとても頑張って楽しく作っていた。
週3回のジムの合間に少し手の込んだ料理もしたり、たまにはパンを焼き、また時にはお菓子を作り、今考えると本来怠け者の私が実によくやっていたものだと感心するくらい。
そして、そういう暮らしではもちろん心も元気で、退屈なんていうことを知らなかった。

母は突然亡くなったのでそれについて思うことはあったが、母の亡き後の雑多なことは割合スムーズに終わって、またエクササイズに励んだり、料理を頑張ったり、そういう暮らしに戻れるはずだった。それが何故か出来なくなっていた。
指宿での後半の何年かは、そんな暮らしだった。

この伊東の新居でもまたそんな風になりかけていたのだが、7月になってごく最近、少し考えてもみて、えいやっとうちでも動けるようになって来た。

まず早起きをして、軽くヨガやストレッチなどして、坂の下までウォーキングする。
夫が剥いてくれた果物から始まる朝食を、夫と話しながらとる。
朝食の後は少し庭の手入れをする。そんな風に朝が始まる。
働き者の主婦だったら、その後、洗濯をしながら、すぐに掃除に取り掛かるところだろうが、朝は脳の働きが良いそうなので、大学ノートに書き物をする。何冊か読んでいる本の中のうち、朝一番はちょっと手強い本を読む。そして本を読む合間、合間に家事をする。
午後にはまた本の合間に、編み物をする。ピアノの練習をする。映画を見るのもいいかもね。

そんなうちでの生活パターンが出来て、心の張り合いが持てるようになって来た。
少しづつ、引っ越しの時にやり残した断捨離、物の整理整頓もして、この家で気持ちよく暮して行きたい。






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by kiyoko_ki | 2018-07-04 18:42 | 水曜日の色 | Comments(0)

手石島

水曜日の色

14

手石島


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寿美江おばさんから夫に電話があった。
96歳の寿美江おばさんは耳は少し遠いもののお元気で、お一人暮らしだそうだ。
近くに孫や曾孫が住んでいる。

うちの引越しの葉書が届いて電話をくれたのだが、盛んに伊東が懐かしいと言っていたとか。
聞けば、伊東におじさんが住んでいて、女学校時代に濱子さんと一緒に夏休みには伊東へよく遊びに来ていたらしい。

小さい島があってそこまで泳いだと。
手石島?と夫が聞く。
そうそう!と寿美江おばさん。
濱子さんが呼んだのよと、寿美江おばさんは言った。

濱子さんというのは夫の母親。夫が小学校の小さい時、亡くなった。
寿美江おばさんは、夫の父親の妹。
そうか、濱子さんは親友のお兄さんと結婚したんだ。知らなかった。

写真で見せてもらって知っている濱子さんは、色白で華奢な女性だ。
濱子さんも手石島まで泳いだのかしら?と、私。
昔の人は達者だったからねと、夫。

それで、寿美江おばさんと濱子さんが泳いで渡った手石島を、見に行ってみようじゃないかと出かけた。

この日は、山手から手石島を眺めた。
海岸線は見えないが、木々が鬱蒼と茂り下の方まで続いているようだ。
手石島と少し離れて、左に初島が見える。
手石島に波がぽちゃぽちゃしている所があって、そこが浅瀬だろうか。寿美江おばさんと濱子さんはその辺りから手石島に上ったかしら。
そしてこちらの山の方を眺めたこともあったかしら。

手石島が見えるこの見晴らしの良い場所にはベンチがあって、しばらくベンチに座って、梅雨晴れ間の海や島の景色を楽しんだ。

それから私達は、山を少し登ってみたり、降りて来て道沿いにまた少し歩いてみたりして、手石島が見えるこの山をちょっぴり偵察してうちへ帰った。
いい日だったな。
また手石島を見に来よう。






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by kiyoko_ki | 2018-06-13 13:49 | 水曜日の色 | Comments(0)

坂道を下って

水曜日の色

13 

坂道を下って


坂道を下って郵便局まで歩いて行ってみることにした。
郵便局じゃなくても、うちからは何処へ行くにも坂道を下るしか無いのだけれども。

坂道を下る途中に、木々の枝を払って中の林に出入り出来るような空間がある所があって、それを覗いてみると、屋久島の防風林の木々の空いた所からポンカンタンカン畑を覗いているような気がした。


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屋久島に住んでいた時は、うちから坂道を下ったり登ったりして散歩していた。
うちから向かいのおじさんのポンカンタンカン畑の防風林に沿って、県道までちょっとした下り坂で、県道を渡ってまた違う人のポンカンタンカン畑の防風林に沿ってさらに下って行くと、今度は広々としたじゃがいも畑に突き合たった。そのじゃがいも畑の向こうには海が見えた。じゃがいも畑を横目で見ながら道に沿ってしばらく行くと急坂があって、それを下ると恵比寿様の祀られた集落の小さな魚港に出れた。

じゃがいも畑の辺りから来た道をうちの方へ振り返ると、モッチョム岳が聳えていた。じゃがいも畑をまた横目で見ながら漁港のある方向とは反対にずんずん進むと、さらにモッチョム岳がよく見える場所があった。もっと進むと道はやがて今度は急な登り坂になり、その坂道を登り切ると隣の集落にある郵便局へ行けた。

郵便局の局長さんの顔をよく見知っていたが、気が付いたら退職されたのか顔を見かけなくなっていた。
が、ある時、うちのオオミノトケイソウの株を分けて欲しいとやって来たレンタカー屋さんが、その郵便局の元局長さんだった。
話が脱線するが、うちのオオミノトケイソウは隣の隣の集落の人にもやはり分けてあげた。郵便局の元局長さんからも、隣の隣の集落の人からも、そのお宅の株をうちに分けてもくれて、オオミノトケイソウの株の分け合いをしたのだった。

今のうちから坂道を下って郵便局に着いてみると、おばあさんが二人、もう用事は済んだのか長椅子で寛いでいた。
私はやっと出すことになった引越し葉書の印刷の失敗した物を一枚出して、さらに足りない枚数を言って葉書を買う。係の人はもう私の顔を覚えてくれているみたいだ。
通帳も記帳してもらった。この郵便局は小さな簡易郵便局でATMが無いのだった。
私の後には、何処かの作業服姿の若い男の人がやって来て、何かの行事のことを郵便局の人と話ながら用事を済ませている。
屋久島のあの局長さんの居た郵便局と似たり寄ったりの様子だ。

近くにコンビニがあったので寄ってみた。思わず新聞を買って、水を買って、3時のおやつを一つ買って、ちょっぴり町の雰囲気も楽しんだ。
買った水を飲みつつ、坂道を下った時と同じように、立ち話をしているおばさん達や、乳母車を引いている若いお母さんや、通りがかったおじさんとこんにちはと挨拶を交わしながら、家々の点在する坂道を登って小高い山にあるうちへ帰った。






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by kiyoko_ki | 2018-06-06 14:39 | 水曜日の色 | Comments(0)

ヒメシャラ

水曜日の色

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ヒメシャラ


こちらに越して来て、新居であるうちから下る狭い坂道の途中にヒメシャラの木がある。この辺りの標高はたかだか200メートル位なので、その木肌はヒメシャラなのだが、果たして本当にヒメシャラなのだろうかとも思ったりしたが間違いは無さそうで、白っぽい薄茶や灰色がかった緑や赤っぽい煉瓦色などの混じる樹皮の覆う木肌を触ってみると、つるんとした冷たいあの感触がするのだった。


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夫と私は結婚して東京に3年半程暮らして、主に休日には高尾山やその周辺を歩いたりしていたが、時にはその頃は泊りがけで出かけて散策を楽しむこともあって、二人で箱根に行ったことがあった。
箱根の駒ケ岳に登った時だが、私は軽い高山病なのか頭痛に悩まされてしまい、点在するヒメシャラに会うたびにに抱きついて、痛い頭をその木肌で冷やしたりして歩いたのだった。

東京より移住した、屋久島の標高の高い山にもヒメシャラはあって、ヒメシャラに会えばやはり、その木肌を触って冷たい感触を楽しんでいた。

私のヒメシャラの記憶は恐らくそのふたつなのであったが、ヒメシャラは私にとって忘れ難い木のひとつで、引越して来たらヒメシャラがあったというのはかなり喜ばしい。

うちの周りには造園業を営んでいる場所が多くあり、そんな斜面が続く尾根道といった感じの農道脇にもヒメシャラの木はあって、昨日は通りがかったら、低い枝に咲いている花を見ることが出来た。ヒメシャラはツバキ科で、花は正に小ぶりな白い椿だ。


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坂道を下ったヒメシャラの辺りに居ると、時々この坂道を歩いていると言う方と出会って立ち話をした。尋ねられたので引越して来たことを伝えると、鹿児島ナンバーの車のおうちですねとすぐにわかったようだ。伊豆でも天城にはヒメシャラが多いそうで、天城のヒメシャラ林の話を聞いた。 

ヒメシャラを見上げると、花の名残があるようだが高くてよくわからない。が、もう少し下った所の地面に、昨日見たのと同じ、小ぶりな白い椿の形の花が落ちていた。それは椿に特有のぽとりと花ごとそっくり落ちた様子で、徐々に土と馴染もうとしているようだった。 

ところで、うちからは富士山が見える。その東には丹沢の大山も見えて、その真ん中辺りにやはり高い山が見える。山岳地図で確認してみて、その真ん中は箱根の山ではないだろうかと見当を付けた。ヒメシャラと出会った駒ケ岳が見えるというのなら何とも嬉しい。

屋久島、指宿と鹿児島に15年暮らして、その前の二人で暮らし始めた東京近くへ舞い戻って来て、何だか原点に戻ったというような気持ちがする。目にする植物も懐かしい物でいっぱいだ。

毎日、うちから坂道を下ってヒメシャラに会いに行きたい。ヒメシャラは落葉樹だが、冬のヒメシャラを私は知らない。箱根の駒ケ岳に行ったのはヒメシャラの葉の青々と茂った季節だったし、屋久島のヒメシャラのある場所は、冬積雪のある所だったからそんな時期に行ったことが無かった。

一年を通して会うヒメシャラは一体どんな様子だろうか。
そして坂道にヒメシャラのあるこの小高い山の季節の移ろいはどんなものだろうか。







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by kiyoko_ki | 2018-05-30 15:19 | 水曜日の色 | Comments(0)

夕焼け

南からの贈り物

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夕焼け
                              
  
 写真を探していた。父方の祖父母の若い頃のもので、ちょっとよそ行きの写真館で撮ったものだ。母が亡くなった後、随分と素早くその住まいを片付けて引き払ったりしたので、てっきりその時捨ててしまったのではないかとも思っていた。

  古写真失せし部屋より秋夕焼                清子

 その後、失くしたと思った祖父母の写真はひょっこり出て来た。
 夫にも不注意により失くしたものがあった。が、それは出て来なかった。夫の、もう何年も会っていない、幼かった頃の息子からのプレゼントの小銭入れだ。
 それを失くしてしまったと気が付いた日、夫は今日は夕焼けが綺麗に出そうだからと言って、いつもの池に一人出かけた。その日は、私も夕焼けを共に見たいと思った。何かを共有したい気持ちだった。それで夫の後をついて行き、池のほとりに佇む夫に並んだ。儚げな秋の夕焼け雲が広がって淡く消えて行く。二人とも無言だった。


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 家の近くのその池は、夕焼けの写真を撮るのには絶好の場所だ。夫は、夕焼けの出そうな日には足繁く通う。池の西側には小高い丘陵がありそこへ夕日が落ちて行く。夕焼けは、雲が多く出ている日に劇的に美しくなったりする。それが池に映ると、天と地の二重の夕焼けがまた素晴らしい。


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 指宿に引っ越して来て良かったことの一つは、夕焼けを楽しめることだねと夫は言う。池はすぐ近くで、行けばもちろんいいのであるが、我が家の西側は開けているから広い空が望め、家に居ながらにしても西の空の夕焼けを楽しめるのだった。
 大型台風が迫っていたある日、恐ろしいくらいの真っ赤な空が広がった。私は思わず外に飛び出して西の空を仰いだ。家も人も赤く染まリ、暫しこの世とは思われないような世界に浸った。
 屋久島では、お向かいの畑に高い防風林があったから、家や庭からは西の空の夕焼けはあまり楽しめなかった。それでも、二階にあった台所より夕食の支度の手を止めて、北に聳えるモッチョム岳を望むベランダに出て、夕空を眺めることがあった。ある年の七夕の日に、北の空が夢見心地な水色やピンクや薄紫がたなびく空になり、モッチョム岳が黒いシルエットとなった。ベランダより南を望めば、夏の海の上に入道雲がコーラルピンクに染まるのを目にすることもあった。
 夫は夕方にかけて庭仕事をする日がほとんどだったから、夏の夕焼けの頃には、今日も暑い一日が終わってやれやれと庭でほっとして空を眺めていたようだ。ある日、夫に呼ばれて庭に出てみると、モッチョム岳に不思議な夕焼け雲が現れていた。まるでモッチョム岳に炎が立ち上っているようだった。
 そんな風に、屋久島での夕焼け空もいいものではあったが、少し歳を経て来た、今の暮らしでの、西の空の夕焼けにますます心奪われることも多くなった。


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 一人で見る夕焼けがある。二人で見たい夕焼けもある。二人で見て多くは語らなくとも、同じ夕焼けを見たという思いが残る。一人だったら、夕焼け空の下ただただ佇むだけでもいい。
 夫は今年古希を迎えた。夫の娘からはお祝いのパジャマが届いた。そのお祝いが自分のことのように嬉しい。
 死んだら葬式も墓も不要と夫は言っている。どちらが先に逝くかはわからないことだが、一人の暮らしになることなども考える。私もあと二年で還暦だ。そろそろ老い支度を始めても早過ぎることはない。人生の終盤に向けて、少しずつ整えて行きたいと思うこの頃である。

(2017年8月5日発行、季刊俳句同人誌「晶」21号に掲載)






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by kiyoko_ki | 2018-03-21 17:45 | 南からの贈り物 | Comments(0)

オキナワチドリ

南からの贈り物


オキナワチドリ
      

 隆起サンゴ礁の岸に、春の波が寄せては返す。ことのほか日差しは強く、きらきらと海面が光り輝いている。ふとその先に目をやると、小さな舟が通り過ぎて行くところだった。
 夏には、そのサンゴ礁の天然のプールが少年たちの格好の遊び場となる。他には、春や秋の大潮の頃に屋久島では磯もん採りと呼ばれる貝採りの大人達が訪れるくらいで、普段は静かな海岸であった。その静かな海岸に、夫と私はよく町への買い出しのついでに立ち寄り、そこでお昼にした。
 隆起サンゴ礁の海岸の続きには、天然の芝地が広がっていた。その芝の中に、毎年春に楽しみにしているオキナワチドリという蘭が咲いた。


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 草丈が低いので、身を屈めて芝を掻き分け探して行く。
 ピンクの丸い蕾が開くと、まるで手足を広げた人形のような愛らしい花が咲いた。その可愛らしいピンクの花には濃い紅色のそばかすのような点々があった。その花によってピンクの濃いもの、白っぽいものの差はあるが、咲き始めが一番鮮やかで美しかった。


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 オキナワチドリの花の期間は比較的長い。その前後には、リンドウの仲間の、小さな小さなリュウキュウコケリンドウも一緒に見ることが出来る。


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 淡く儚い水色で、こちらは本当に小さく花は米粒くらいだ。曇りの日には花を閉じていたりする。踏みつけないように注意して楽しむ。


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 オキナワチドリの花の盛りが過ぎてしばらくすると、今度はシマセンブリというこれまた小さな花が咲く。こちらは赤紫色で、やはりリンドウの仲間でセンブリと名前は付くものの、センブリとは異なる、また違った趣のある魅力的な花である。これも昼頃に晴れてくれないと花は開かない。
 これらの小さな草丈の花達はなかなか貴重な植物で、掻き分けた芝の中に、またひっそりとその花達を埋もれるように隠し、どうぞいつまでもこの地で花を咲かせ続けますようにと、願わずにはいられないのだった。
 だが貴重だからという理由だけでなく、こういう草丈の小さな花には、その小ささゆえに、樹に咲く花などとはまた違う、花に対する愛しさのようなものがこみ上げて来る。
 それらの花の記憶を辿っていたら、亡くなった母の幼い頃の話に思いが重なった。
 「母ちゃん、行って来るね」母は、私の祖母に当たる、染物屋の女房であった忙しい母親の背中に毎朝そう言って幼稚園に出かけたそうである。小学校の入学式の日に母親を亡くした、母の幼い頃の思い出だ。
 小学校の入学式の日に母親を亡くすなどとは、なんと言うことだろう。が、母には姉達がたくさんいて、姉達に守られて母は幸せだった。それから母は姉達と、幾度母親の命日を迎えたことだろう。
 そして私も今年、そんな母の三回忌を迎えた。九十一歳になる、一番上の母の姉、私の伯母が、母にとチョコレートを買ってくれた。その伯母は、母親が亡くなった時には、末の妹である私の母の言うことを何でも聞いてあげようと思ったそうなのである。母親を亡くしたけなげな姉妹達は、オキナワチドリやリュウキュウコケリンドウやシマセンブリのようにいじらしい。

  母の忌や草に埋まる春の蘭                    清子 
 
 今、指宿に住んで、屋久島には高速艇で行くことが出来るが、夫はもう屋久島を訪れることは無いだろうと言っている。その名の示す通り自生地の限られた、オキナワチドリやリュウキュウコケリンドウやシマセンブリにも会うことは無いかもしれない。幼い姉妹達の遠い幻を添えて、その花達の記憶をまたそっと心の奥に納めた。

(2017年5月5日発行、季刊俳句同人誌「晶」20号に掲載)






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by kiyoko_ki | 2018-03-06 10:54 | 南からの贈り物 | Comments(0)

南の島の雪

南からの贈り物

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南の島の雪
                 

 屋久島に雪が降ることをご存じだろうか。屋久島は九州最高峰を抱える島である。標高一九三六メートルの宮之浦岳、一八八六メートルの永田岳、一八三一メートルの黒味岳など、これらは奥岳と呼ばれ、島の中央付近に高く聳える。その周辺を、標高千メートル級の山が囲み、それらは前岳と呼ばれる。たとえば、夫と私の暮らした家から望めたモッチョム岳は、前岳の一つであった。
 南の島でも、標高の高い山があるとなると、冬には雪となるのだ。庭の自然林に、白い山茶花の花を見る頃になると、そろそろ奥岳の初雪の便りがある。
 屋久島の暮らしの中で、元気な頃は、夏には花の多い黒味岳に登ったりした。黒味岳への途中、面白い巨岩を眺めながら進むと、花之江河という素敵な高層湿原に出る。その先の黒味岳に登らずに登山道を進めば、宮之浦岳への途中には、投石平がある。初夏、そこには一面の石楠花が咲く。一度は、その石楠花を見にも行った。その後、私は少し病気をしたのがきっかけで、登山はしなくなってしまった。それでも、夫と共に、車で奥岳への登り口の淀川登山口まで行ったり、その手前のヤクスギランドという自然休養林へ度々出かけた。
 そのヤクスギランドや淀川登山口への県道も、積雪で通行止めになったりした。県道の通行止めの町内放送を聞くたび、私はわくわくするような気持ちになって、雪の様子を想像したりした。花之江河も、黒味岳も、投石平も、雪なのだ。どんな景色なのだろうかと。
 寒さの厳しい朝には、島の南の我が家から見えるモッチョム岳にも雪があったりした。ウォーキングで一緒になる仲間と、その朝の積雪が話題になった。ある年は正月に、モッチョム岳に雪があった。そしてさっと時雨れると、虹がかかったりするのだった。



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  山に雪麓に虹の島新春                  清子

 モッチョム岳は、日曜日に通っていたヨガ教室のある、隣の集落の尾之間の公民館からもよく見えた。モッチョム岳にかなりの積雪がある時などは、公民館が底冷えした。余談だが、その公民館の二階でのヨガ教室はとても良かった。南に太平洋を見下ろし、北にモッチョム三山が聳え、自然に抱かれた中でのヨガは身も心も健やかに穏やかに整えてくれるようだった。
 島の北にある一番大きな集落の、スーパーの三つある宮之浦への買い物のついでに、車で島をぐるっと一周することも多かったが、島の北西の、海亀の産卵するいなか浜のある永田の集落からは永田岳が見えることがあった。奥岳で唯一、里から見える山だ。時雨れずに雪積した永田岳が見えたならば感激である。



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 島の西、海岸から奥岳にかけての原生林の南から北への植生の垂直分布が見られる西部林道、それの始まる栗生では、小楊子川のほとりを散策した折にも積雪した山を見たこともあった。それは前岳の七五岳であるらしかった。




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 ところで、屋久島には岳参りという行事がある。集落ごとに信仰する山が決まっているのだが、我が家のあった原の集落はモッチョム岳だった。集落の代表がモッチョム岳にお参りに行き、その間に女性陣は料理の腕を奮った。といもがらで刺身のつまを作り、煮しめを作り、ぼたもちを作った。岳参りから戻る人を迎え入れ、皆で会食した。そういった行事は、集落の隣保班の十人組と呼ばれる集まりでやることがあって、私も料理の手伝いに駆り出されたことがあったが、貴重な体験だった。

(2017年2月5日発行、季刊俳句同人誌「晶」19号に掲載)






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by kiyoko_ki | 2018-02-24 15:21 | 南からの贈り物 | Comments(0)

バナナ

南からの贈り物


バナナ


               
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 初めて庭でバナナの花が咲いたのは、屋久島に引っ越して二年目の十二月のことである。
 屋久島に引っ越したのは、夫の田舎暮らしの、霜の降りない地で南国の果樹を育てたいという夢があったからだ。最初は東京近辺の房総や伊豆などを探していたが、一緒に暮らそうとしていた私の両親は考えを改めたので、私が思い切って島に行こうと提案した。小笠原などではなかなか土地が手に入りそうもない。それで沖縄だと難しいだろうか、それでは鹿児島の離島はどうだろうと見に行き、屋久島が気に入ってすぐに決めてしまった。
 家が建って引っ越しをして、私はまだ少し仕事があるので一旦東京へ戻ってひと月程経って到着してみると、夫は庭仕事を始めていた。私の居ない間、新しい家と庭には、何やかやと近所の人が訪ねて来たそうである。お向かいのぽんかん畑のおじさん、飛魚漁の漁師さんの奥さん、通りの向こうの自動車修理工場の奥さんなど。どういう訳か、パソコン教室を開くのかと尋ねられたりしたそうだが、残念ながらその予定は無かったのだが。
 夫の庭仕事は、まずは土を耕すところから。庭の土は硬かったのだ。土を耕すと大きな石が埋まってもいた。夫はその大きな石を持ち上げて、並べて花壇を作ったりした。小石もたくさん出てきて、こつこつと何日も何日もかけて、その小石で道も作った。地面が少し斜めになっている所などは、私も手伝って、地面を平らにしたりもした。



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 そうこうするうちに、バナナの苗をもらえることになって、庭に植えた。葉が茂るようになり、雨上がりの朝などには、その葉に水滴が溜ったりして、葉裏から透けて見えるのが美しかった。それが二年目に咲いたのである。



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 バナナの蕾は、濃い赤紫の苞に包まれていて、それが開くと、花は一列に並んでいた。蜜があるのだろう、蟻が来ていたりした。花の根元の子房が膨らんで、何列にもバナナが実ってゆく。青い房状となった実は重たそうだ。最初の頃は、どうしていいのかわからなくて、黄色く色付いたものから取っていったりしていたが、そのうち、青い房ごと収穫して、軒下に吊るせば良いことがわかった。何日かすると徐々に黄色く色付いていくのだった。



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 島バナナと言うのだそうだが、小さめなバナナで、甘いばかりではなく、程良い酸味があって、いかにも果物らしくて非常に美味しかった。いっぺんに食べきれない程の量だ。いつ収穫すれば良いか気にかけてくれたご近所に差し上げたり、自分たちで食べる分の多くは冷凍したりした。黄色く色付いた皮を剥いて、一本一本ラップに包んで冷凍庫に並べた。冷凍したバナナもアイスキャンディのようで美味しかった。
 実のついた株はもう枯れてしまうので、それは夫が伐採した。その伐採した株を片付けるのも重たいので一苦労だった。伐採しても、どんどん地下茎を伸ばして新しい株が出て来るので、バナナを育てるのには、広めのスペースが必要だった。それで、バナナの生育に適した屋久島であったが、何処の家にもバナナがあるという訳では無かった。
 バナナは芭蕉の仲間である。木ではなくて草なのだ。その葉は大きく魅力的である。庭にバナナの葉が茂っているというのは、なかなかいいものだった。

  寝室にバナナの葉影島月夜                       清子

 夜には家の周りは真っ暗になったが、月明かりの晩には、大きなバナナの葉影が、眠りに着こうとする寝室の壁に映って、何とは無しに幻想的だった。何だか浮世離れした心地でもあった。
 ぽんかん畑のおじさんも、飛魚漁の漁師さんの奥さんも、自動車修理工場の奥さんも、皆働き者だった。働き者の島の人々に混じって、夫も庭仕事に精を出し、私もたまに手伝って、庭は年々、姿を変えて行くのだった。

(2016年11月5日発行、季刊俳句同人誌「晶」18号に掲載)






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by kiyoko_ki | 2018-02-09 20:54 | 南からの贈り物 | Comments(2)

タニワタリノキ

南からの贈り物


タニワタリノキ
                                 

 朝早く涼しいうちに散歩に出かける。しばらく歩き回って家に戻る頃になると、南の島の真夏の日差しの強さはもう容赦無くなっていて、じりじりと長袖シャツの中の肌をも焼いた。それでも、自宅近くの狭い道に差し掛かると、木々の枝は低く木陰を作ってくれていてほっとした。近くに迫った頭上の熊蝉はシャンシャンシャンと物凄く煩いのだが。
 屋久島の庭の横にあった小さな谷川沿いにも背の高い自然林が生い茂っていたので、川に面したあたりは、熊蝉の声がとても響いた。その谷川に面した部屋は景色は良く、せせらぎも涼しげで、客人を迎えるのにはお誂え向きだった。
 引っ越して来て初めての夏、立て続けに四組の訪問客があった。そのうちの一人に、植物で繋がりのある友人がいた。彼女は樹木に詳しかった。その彼女が、谷川沿いの庭に影を落とす一本の木に気が付いて教えてくれた。タニワタリノキだと。よく見ると、何本かあるのもわかった。夫も私も、タニワタリノキなどというものを知らなかった。それもそのはずで、その木は、日本では九州南部から南西諸島にしか分布しないものだった。残念なことに、友人が来訪したのは花の時期より少し早過ぎた。


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 夫と私は、タニワタリノキの咲くのを心待ちにした。蕾はまん丸の球形で、それが日増しに大きくなっていった。その球形は小さな花の集合花だった。ある日を境に、つんつんと雌蕊を突き出して、真っ白い花をいっせいに咲かせた。なんて面白い花なんだろう。二人で、こんな素敵な花が庭に咲くのを喜んだ。高い木々からは、熊蝉の声が降り注いでいた。


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 何年かするうちに、夫は、屋久島の野生植物の写真の絵葉書を土産物として出すようになったが、その中にタニワタリノキの花の写真もあって、それは一番人気があった。ある時知人が、これは何という木なのかと、枝を手にしてやって来たことがあった。夫と私は思わず微笑んで、これが絵葉書の中にあるタニワタリノキだと教えた。彼女は、自分のところのぽんかん畑のやはり谷川沿いに、タニワタリノキが咲いているのに初めて気が付いたのだった。屋久島は川の多い島だった。その屋久島の谷川沿いには、タニワタリノキはけっこう多かったのだが、案外、知る人は少なかったりするのであった。
 谷川を覆うように茂るのが、タニワタリノキだった。


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 庭の横の小さな谷川はとっておきの場所だった。夫は庭仕事が終わると、川で手足を洗い、道具を洗った。浅い川ではあるが小さな滝壺もあり、子供が遊ぶにもちょうど良かった。夫の甥の子供達が来た時には、その小さな川で大騒ぎをした。
 私も遊ぼうと、一人ざぶんと滝壺に浸かった。水温が低いので、長く涼むにはウェットスーツを着て入るとちょうど良いくらいだった。静かに水に身体を沈ませていると、透明な蝦が素足をくすぐった。何という名前の蝦だろう。筋模様のあるものだった。手長蝦もいるようだ。それに鯊もいた。海から昇って来た坊主鯊だろうか。夫は、庭仕事の合間に大きな鰻を見たこともあると言っていた。鬱蒼と覆いかぶさっている木々の影が水面に揺れ、暑い夏の一日もゆっくりと流れて行くのだった。


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 タニワタリノキの花はニッキのような香りを一面に漂わせた。それで花が咲いたのに気付くこともあった。開花の期間はことのほか短かかったが、黒い大きな揚羽蝶が訪れたりもした。それはきらきらと輝く川の水の煌きのような、夏の果てようとする一瞬の出来事のようでもあった。やがてあっという間に、花は終わりを告げた。
 熊蝉の声はまだ響いていた。が、季節は少し移ろいだのだろう。夏休みの客人ももう帰ってしまった。夫は庭仕事を、私は散歩を、また始めるのだった。
 
  谷渡る木々の記憶の蟬しぐれ            清子

(2016年8月5日発行、季刊俳句同人誌「晶」17号に掲載)






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by kiyoko_ki | 2017-12-15 09:49 | 南からの贈り物 | Comments(0)

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