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リビングの私の席からは大きな山桜がそびえているのが見えて、

その周りは竹や雑多な木々。

手前の方では、イヌビワが芽吹きヤマグワも芽吹き始めた。

細やかな雨の中、写真を撮る。


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ツイートで140字の短いエッセイ的なものを書くのが結構気に入って、

下は今日のツイート。

今日はちゃんとまずはテキストエディタに書いてみてからコピペした。

写真は2008年屋久島での今日のもの。

この道の帰りにぐるっと迂回すると、

奥には突然、なぜかツツジ畑が現れて、
そのツツジの写真を確かこのブログにアップしている。

夫に聞いたら覚えていて、
何処をどう歩いたか説明してくれた。

過去の写真は、アマゾンプライムに入れていて、
毎日、過去の今日の写真が見られるので、

こんなツイートを始めてみたのだけれども。

ひとつには、過去に見聞きしたもの、体験したものも、
自分の中で風化したくない、

ということがある。







by kiyoko_ki | 2019-04-12 13:36 | 野生植物 | Comments(0)

ユスラウメ咲く

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夫と暮らし始めたのは15坪程の小さな庭のある三鷹のマンションの一階だったが、夫が果樹が好きなこともあって、何本か果樹を植えることにした。

二人でどんな果樹を植えるか楽しみながら選んだ。
夫が選んだのは一つは柿、もう一つはプルーン、私はユスラウメ、フサスグリなどを選んだ。

ユスラウメはバラ科で、春先に白い花を咲かせ、それは赤い実となる。
酸っぱくて特に美味しいものでもないが、その赤い実は可愛らしく、ユスラウメは夫にとっても懐かしいものだったようだ。

そのユスラウメをこちらに越して来てまた植えた。まだ小さめの木だったがあの赤い実を付けていた。
それが花の時期になった。

伊東に来てもうすぐ一年、そして私は還暦。夏には夫と暮らし始めて20年となる。

あのまま三鷹に住んでいたら、あのユスラウメはどのくらいの花数になったことだろう。
そして、あまり大きくならないユスラウメやフサスグリならともかく、高木になる柿やプルーンなんて、15坪の庭で果たしてどんなことになってしまっていただろう。


・・・お知らせ・・・

このブログの左下にあるツイートの印とインスタグラムの印をクリックして頂くと、
それぞれ、私のツイートとインスタグラムを見ることが出来ます。

ツイートには、
その日と同じ月日の屋久島や指宿での写真一枚と、それに纏わる140字のショートエッセイのようなものを書いています。

インスタグラムには、描いた絵を載せています。

ご興味があったら、どうぞご覧ください。






by kiyoko_ki | 2019-03-26 14:36 | 野菜果物ハーブ | Comments(0)
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昨日、ドナルド・キーンさんが亡くなったのを知って、そうだった、こんなにも日本を愛してくれていた人が居たんだったと、亡くなったのを非常に寂しく思った。

と言っても、キーンさんの著述はほとんど読んだことが無く、今はうちにはテレビも無くあった時にもあまり見ていなかったし、新聞も取っていなくて、ネットで断片的にニュースを読むくらいで、なかなかキーンさんについてのトピックもあまり知らずに来てしまっていたのだが。

せめてもと、キーンさんの本を読んでみようとAmazonを眺める。亡くなってから、その人の本を買うなんてなんて悲しい。

キーンさんの愛した日本文学、三島や谷崎や川端や安部公房。私も読んでいた頃を思い出す。
今や私の読書力は衰えてしまって、キーンさんの本を読んで、キーンさんの愛した作家達の本を再度、紐解いて行けるか怪しい。

私も百代の過客となって、文学の旅を彷徨ってみたいものだが、果たして。

その百代の過客が本の題名ともなっている、キーンさんの著述にもある、日記文学について考えてみると、ブログって日記文学の延長かもって、下火になって来たとは言え、日本でブログが海外に比べて盛んらしいことには、日記文学からの派生かもなと思ったりする。

写真は昨日撮ったオニシバリの花。ジンチョウゲ科で、たくさん咲いていると微かに香りを感じる。黄緑色の花が早春らしくていい。
伊豆にはオニシバリが多いようで、あちこちで見られる。伊豆で春一番に見られる野生種の花のひとつかと。
うちから百歩も歩かずに何本か木がある。

キーンさんのお名前は漢字では鬼怒鳴門だそう。
オニシバリの咲く頃、キーンさんは逝かれた。鬼を縛ってしまっては、或いはキーンさんにはそれこそ怒られてしまうかもしれないが、オニシバリが咲いたら、キーンさんの亡くなった早春の日を思い出したい。






by kiyoko_ki | 2019-02-25 11:05 | 野生植物 | Comments(0)
水曜日の色

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ツワブキの花のちらし寿司と水彩画


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下田に行ったら、ツワブキがまるで屋久島のように明るく元気よく咲いていた。下田の海は青く、日の当たる坂道はぽかぽか陽気で、そんな風景や日差しが、まるで屋久島のようにと私に思わせたのかもしれなかった。

帰って来て何日かして、お昼にちらし寿司を買って来て食べたのだが、ツワブキの花のちらし寿司のことを思い出した。
それは、私が毎日読むのを楽しみにしていた、屋久島の地元のガイドさんの日記のサイトに紹介されてあったのだが、ツワブキの黄色い花びらを散らしたちらし寿司なのだった。

ツワブキは、屋久島の家の周りにもたくさん咲いていて、花びらだって摘み放題だったが、ついにそのちらし寿司を自分で作ってみたことは無かったが、印象深かった。

伊東に越して来て、この秋、食用菊というものを見かけて初めて買ってみた。何年か前に、北の方に住む知人が、食用菊を料理したことを話してくれたことがあったが、自分で料理したのももちろん初めてだった。さっと湯がいて甘酢和えにした。おつな味がした。

ツワブキの花びらだって食べたっていい訳だ。屋久島では、その若葉や若い茎は食材として楽しまれていたのだし。
あんなにたくさん咲いていたのに、惜しいことをしたかもな。
どんな味が、どんな香りがしたことだろう。

ところで、そのガイドさんとは、宮之浦の環境文化村センターでお会いしたことがある。
彼女は水彩画を描く人でもあって、その個展をやっている場にたまたま遭遇したからだ。

彼女の水彩画はけっこう大作だった。
元気いっぱいカラフルで、宇宙を描いているような、はたまた生き物の細胞を描いているような、自由でのびのびした絵だった。
私は体調を崩していた頃で、その当時はそれまでやっていた染め織りもあまり出来なくて、そんな絵を描ける、日に焼けた彼女がとても眩しく、羨ましかった。

彼女の絵を前にして、自分も色を扱うことが好きなこと、ちょっと体調を崩していること、彼女の絵が好ましいこと、その日たまたま彼女の絵を見ることが出来て嬉しいことなど話した。
彼女は玉ねぎの絵も出していて、玉ねぎが芽を出して、それを毎日観察して描いていたら楽しかったことなど話してくれた。その玉ねぎの芽は何処までも何処までも伸びて行きそうで、その絵は生命力に満ちていた。

12、3年前のことだが、彼女はきっと今でも山や川に分け入ってガイドをしているだろうし、うちでは大作の絵も描き続けているだろうなと思う。
そして、ツワブキの花のちらし寿司も作り続けていることだろう。あの屋久島で。






by kiyoko_ki | 2018-11-28 10:33 | 水曜日の色 | Comments(0)

優しく降ってくれれば

水曜日の色

16

優しく降ってくれれば


雨は優しく降ってくれれば、いいものであるのに。

先日の朝、草刈りをしていたら雨が降り出した。もう少し草刈りを続けたかったので、そのまま雨に濡れながら作業を続けた。
屋久島の家の向かいのポンカンタンカン畑のおじさんも、合羽を着て雨の日でも軽トラでやって来て、草刈りをしていたものだなと思い出す。
作業をしていて雨が心地いいくらいだった。が、じきに本降りになり、とうとう退散した。

自室に入って、窓際の Mac から静かなクラシックを部屋に流す。
音は小さめに、窓の外の雨音が聞こえる様に。


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雨は優しく降ってくれれば、心安らぐ時もあるのに。

つらつらと雑多な事を考えていたら、ふと、こちらに引っ越して来てから遠ざかっていた俳句の本でも紐解いて、雨の句を拾ってみようかしらと思い付いた。
一冊本を取り出してみたが、なかなか今の気持ちにぴんと来る俳句に巡り会えない。
それで一端、本を閉じた。

指宿では、私は俳句に出会えた。
ノートを広げてみると、雨の句をたくさん作っていた。

  月桃の雫の満ちて梅雨の闇     清子
  きぎす鳴く雨音低き夕厨
  雨音の優しきも入れ南瓜煮る
  ギャラリーの扉緑雨に開かれし
  針仕舞ふ薄紫の梅雨の夕

鹿児島からの先生を迎えての句会では、俳号を考える様に言われて、その宿題を忘れていた私は、当日咄嗟にレインと名乗った。
屋久島でも、指宿でも、大変な大雨も経験したが、それでも雨を憎めなかった。

祖父は晩年、やはり俳句をやっていて、俳号は雨郷だった。
孫が雨の郷の様な所に住むとは思ってもみなかっただろうな。

レインという俳号についての夫の感想はあまり良く無く、のちに代わりに、私は紫が好きだからと言ったら、紫雨、しう、という俳号を一緒に考えてくれた。
さて、その俳号を名乗る日はいつか来るだろうか。

雨は優しく降ってくれれば、様々な思いを心に巡らせてくれるものなのに。






by kiyoko_ki | 2018-07-11 09:11 | 水曜日の色 | Comments(0)

7月になって

水曜日の色

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7月になって


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7月になって今年も半分終わってしまった。
指宿から伊東に引っ越そうという話が出たのは、お正月明け間も無くだったから慌ただしい半年だったが、かなり落ち着いて来た。

指宿の家は温泉もあったしなかなか立派な造りで、もちろん良い面はあったのだが、私の寝室は和室の押入れをちょっと手直しして衣類を収納していたので使いにくかったり、本棚として使っていた作り付けの棚は、前の家主さんはきっとテレビでも置いていたのではないかなと思えるような棚だったので、そこに本を並べていたがあまり具合がいいものでは無かったりした。

伊東で、やはり中古のこの家を選んだのは、環境もあるが、私は家としての間取りや特に気に入ったのはキッチンなど、ちょっと古めかしさもある指宿の家とは違う新しい感覚に惹かれた。
もしうちに新築を建てる余裕があったとしても、なかなかこういう新しい発想にはならなかったのではと思っている。

そんなに気に入っている家に越して来たというのに、私は最低限の家事だけして、うちに居る時には何をするという訳でもなく、だから当たり前だが退屈だと感じるようになって来た。
日々の暮らしで退屈だと思うのは今に始まったことではなく、指宿でも後半の何年かはそんな心持ちがよくあった。心の張り合いがあまり無かった。俳句や水泳もしていたというのに。

それは考えてみると母を亡くしてからで、それまでは私は頑張ってエクササイズに励んでまあまあの体型をキープしていたり、料理も私なりにではあるがとても頑張って楽しく作っていた。
週3回のジムの合間に少し手の込んだ料理もしたり、たまにはパンを焼き、また時にはお菓子を作り、今考えると本来怠け者の私が実によくやっていたものだと感心するくらい。
そして、そういう暮らしではもちろん心も元気で、退屈なんていうことを知らなかった。

母は突然亡くなったのでそれについて思うことはあったが、母の亡き後の雑多なことは割合スムーズに終わって、またエクササイズに励んだり、料理を頑張ったり、そういう暮らしに戻れるはずだった。それが何故か出来なくなっていた。
指宿での後半の何年かは、そんな暮らしだった。

この伊東の新居でもまたそんな風になりかけていたのだが、7月になってごく最近、少し考えてもみて、えいやっとうちでも動けるようになって来た。

まず早起きをして、軽くヨガやストレッチなどして、坂の下までウォーキングする。
夫が剥いてくれた果物から始まる朝食を、夫と話しながらとる。
朝食の後は少し庭の手入れをする。そんな風に朝が始まる。
働き者の主婦だったら、その後、洗濯をしながら、すぐに掃除に取り掛かるところだろうが、朝は脳の働きが良いそうなので、大学ノートに書き物をする。何冊か読んでいる本の中のうち、朝一番はちょっと手強い本を読む。そして本を読む合間、合間に家事をする。
午後にはまた本の合間に、編み物をする。ピアノの練習をする。映画を見るのもいいかもね。

そんなうちでの生活パターンが出来て、心の張り合いが持てるようになって来た。
少しづつ、引っ越しの時にやり残した断捨離、物の整理整頓もして、この家で気持ちよく暮して行きたい。






by kiyoko_ki | 2018-07-04 18:42 | 水曜日の色 | Comments(0)

手石島

水曜日の色

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手石島


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寿美江おばさんから夫に電話があった。
96歳の寿美江おばさんは耳は少し遠いもののお元気で、お一人暮らしだそうだ。
近くに孫や曾孫が住んでいる。

うちの引越しの葉書が届いて電話をくれたのだが、盛んに伊東が懐かしいと言っていたとか。
聞けば、伊東におじさんが住んでいて、女学校時代に濱子さんと一緒に夏休みには伊東へよく遊びに来ていたらしい。

小さい島があってそこまで泳いだと。
手石島?と夫が聞く。
そうそう!と寿美江おばさん。
濱子さんが呼んだのよと、寿美江おばさんは言った。

濱子さんというのは夫の母親。夫が小学校の小さい時、亡くなった。
寿美江おばさんは、夫の父親の妹。
そうか、濱子さんは親友のお兄さんと結婚したんだ。知らなかった。

写真で見せてもらって知っている濱子さんは、色白で華奢な女性だ。
濱子さんも手石島まで泳いだのかしら?と、私。
昔の人は達者だったからねと、夫。

それで、寿美江おばさんと濱子さんが泳いで渡った手石島を、見に行ってみようじゃないかと出かけた。

この日は、山手から手石島を眺めた。
海岸線は見えないが、木々が鬱蒼と茂り下の方まで続いているようだ。
手石島と少し離れて、左に初島が見える。
手石島に波がぽちゃぽちゃしている所があって、そこが浅瀬だろうか。寿美江おばさんと濱子さんはその辺りから手石島に上ったかしら。
そしてこちらの山の方を眺めたこともあったかしら。

手石島が見えるこの見晴らしの良い場所にはベンチがあって、しばらくベンチに座って、梅雨晴れ間の海や島の景色を楽しんだ。

それから私達は、山を少し登ってみたり、降りて来て道沿いにまた少し歩いてみたりして、手石島が見えるこの山をちょっぴり偵察してうちへ帰った。
いい日だったな。
また手石島を見に来よう。






by kiyoko_ki | 2018-06-13 13:49 | 水曜日の色 | Comments(0)

坂道を下って

水曜日の色

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坂道を下って


坂道を下って郵便局まで歩いて行ってみることにした。
郵便局じゃなくても、うちからは何処へ行くにも坂道を下るしか無いのだけれども。

坂道を下る途中に、木々の枝を払って中の林に出入り出来るような空間がある所があって、それを覗いてみると、屋久島の防風林の木々の空いた所からポンカンタンカン畑を覗いているような気がした。


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屋久島に住んでいた時は、うちから坂道を下ったり登ったりして散歩していた。
うちから向かいのおじさんのポンカンタンカン畑の防風林に沿って、県道までちょっとした下り坂で、県道を渡ってまた違う人のポンカンタンカン畑の防風林に沿ってさらに下って行くと、今度は広々としたじゃがいも畑に突き合たった。そのじゃがいも畑の向こうには海が見えた。じゃがいも畑を横目で見ながら道に沿ってしばらく行くと急坂があって、それを下ると恵比寿様の祀られた集落の小さな魚港に出れた。

じゃがいも畑の辺りから来た道をうちの方へ振り返ると、モッチョム岳が聳えていた。じゃがいも畑をまた横目で見ながら漁港のある方向とは反対にずんずん進むと、さらにモッチョム岳がよく見える場所があった。もっと進むと道はやがて今度は急な登り坂になり、その坂道を登り切ると隣の集落にある郵便局へ行けた。

郵便局の局長さんの顔をよく見知っていたが、気が付いたら退職されたのか顔を見かけなくなっていた。
が、ある時、うちのオオミノトケイソウの株を分けて欲しいとやって来たレンタカー屋さんが、その郵便局の元局長さんだった。
話が脱線するが、うちのオオミノトケイソウは隣の隣の集落の人にもやはり分けてあげた。郵便局の元局長さんからも、隣の隣の集落の人からも、そのお宅の株をうちに分けてもくれて、オオミノトケイソウの株の分け合いをしたのだった。

今のうちから坂道を下って郵便局に着いてみると、おばあさんが二人、もう用事は済んだのか長椅子で寛いでいた。
私はやっと出すことになった引越し葉書の印刷の失敗した物を一枚出して、さらに足りない枚数を言って葉書を買う。係の人はもう私の顔を覚えてくれているみたいだ。
通帳も記帳してもらった。この郵便局は小さな簡易郵便局でATMが無いのだった。
私の後には、何処かの作業服姿の若い男の人がやって来て、何かの行事のことを郵便局の人と話ながら用事を済ませている。
屋久島のあの局長さんの居た郵便局と似たり寄ったりの様子だ。

近くにコンビニがあったので寄ってみた。思わず新聞を買って、水を買って、3時のおやつを一つ買って、ちょっぴり町の雰囲気も楽しんだ。
買った水を飲みつつ、坂道を下った時と同じように、立ち話をしているおばさん達や、乳母車を引いている若いお母さんや、通りがかったおじさんとこんにちはと挨拶を交わしながら、家々の点在する坂道を登って小高い山にあるうちへ帰った。






by kiyoko_ki | 2018-06-06 14:39 | 水曜日の色 | Comments(0)

ヒメシャラ

水曜日の色

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ヒメシャラ


こちらに越して来て、新居であるうちから下る狭い坂道の途中にヒメシャラの木がある。この辺りの標高はたかだか200メートル位なので、その木肌はヒメシャラなのだが、果たして本当にヒメシャラなのだろうかとも思ったりしたが間違いは無さそうで、白っぽい薄茶や灰色がかった緑や赤っぽい煉瓦色などの混じる樹皮の覆う木肌を触ってみると、つるんとした冷たいあの感触がするのだった。


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夫と私は結婚して東京に3年半程暮らして、主に休日には高尾山やその周辺を歩いたりしていたが、時にはその頃は泊りがけで出かけて散策を楽しむこともあって、二人で箱根に行ったことがあった。
箱根の駒ケ岳に登った時だが、私は軽い高山病なのか頭痛に悩まされてしまい、点在するヒメシャラに会うたびにに抱きついて、痛い頭をその木肌で冷やしたりして歩いたのだった。

東京より移住した、屋久島の標高の高い山にもヒメシャラはあって、ヒメシャラに会えばやはり、その木肌を触って冷たい感触を楽しんでいた。

私のヒメシャラの記憶は恐らくそのふたつなのであったが、ヒメシャラは私にとって忘れ難い木のひとつで、引越して来たらヒメシャラがあったというのはかなり喜ばしい。

うちの周りには造園業を営んでいる場所が多くあり、そんな斜面が続く尾根道といった感じの農道脇にもヒメシャラの木はあって、昨日は通りがかったら、低い枝に咲いている花を見ることが出来た。ヒメシャラはツバキ科で、花は正に小ぶりな白い椿だ。


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坂道を下ったヒメシャラの辺りに居ると、時々この坂道を歩いていると言う方と出会って立ち話をした。尋ねられたので引越して来たことを伝えると、鹿児島ナンバーの車のおうちですねとすぐにわかったようだ。伊豆でも天城にはヒメシャラが多いそうで、天城のヒメシャラ林の話を聞いた。 

ヒメシャラを見上げると、花の名残があるようだが高くてよくわからない。が、もう少し下った所の地面に、昨日見たのと同じ、小ぶりな白い椿の形の花が落ちていた。それは椿に特有のぽとりと花ごとそっくり落ちた様子で、徐々に土と馴染もうとしているようだった。 

ところで、うちからは富士山が見える。その東には丹沢の大山も見えて、その真ん中辺りにやはり高い山が見える。山岳地図で確認してみて、その真ん中は箱根の山ではないだろうかと見当を付けた。ヒメシャラと出会った駒ケ岳が見えるというのなら何とも嬉しい。

屋久島、指宿と鹿児島に15年暮らして、その前の二人で暮らし始めた東京近くへ舞い戻って来て、何だか原点に戻ったというような気持ちがする。目にする植物も懐かしい物でいっぱいだ。

毎日、うちから坂道を下ってヒメシャラに会いに行きたい。ヒメシャラは落葉樹だが、冬のヒメシャラを私は知らない。箱根の駒ケ岳に行ったのはヒメシャラの葉の青々と茂った季節だったし、屋久島のヒメシャラのある場所は、冬積雪のある所だったからそんな時期に行ったことが無かった。

一年を通して会うヒメシャラは一体どんな様子だろうか。
そして坂道にヒメシャラのあるこの小高い山の季節の移ろいはどんなものだろうか。







by kiyoko_ki | 2018-05-30 15:19 | 水曜日の色 | Comments(0)

夕焼け

南からの贈り物

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夕焼け
                              
  
 写真を探していた。父方の祖父母の若い頃のもので、ちょっとよそ行きの写真館で撮ったものだ。母が亡くなった後、随分と素早くその住まいを片付けて引き払ったりしたので、てっきりその時捨ててしまったのではないかとも思っていた。

  古写真失せし部屋より秋夕焼                清子

 その後、失くしたと思った祖父母の写真はひょっこり出て来た。
 夫にも不注意により失くしたものがあった。が、それは出て来なかった。夫の、もう何年も会っていない、幼かった頃の息子からのプレゼントの小銭入れだ。
 それを失くしてしまったと気が付いた日、夫は今日は夕焼けが綺麗に出そうだからと言って、いつもの池に一人出かけた。その日は、私も夕焼けを共に見たいと思った。何かを共有したい気持ちだった。それで夫の後をついて行き、池のほとりに佇む夫に並んだ。儚げな秋の夕焼け雲が広がって淡く消えて行く。二人とも無言だった。


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 家の近くのその池は、夕焼けの写真を撮るのには絶好の場所だ。夫は、夕焼けの出そうな日には足繁く通う。池の西側には小高い丘陵がありそこへ夕日が落ちて行く。夕焼けは、雲が多く出ている日に劇的に美しくなったりする。それが池に映ると、天と地の二重の夕焼けがまた素晴らしい。


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 指宿に引っ越して来て良かったことの一つは、夕焼けを楽しめることだねと夫は言う。池はすぐ近くで、行けばもちろんいいのであるが、我が家の西側は開けているから広い空が望め、家に居ながらにしても西の空の夕焼けを楽しめるのだった。
 大型台風が迫っていたある日、恐ろしいくらいの真っ赤な空が広がった。私は思わず外に飛び出して西の空を仰いだ。家も人も赤く染まリ、暫しこの世とは思われないような世界に浸った。
 屋久島では、お向かいの畑に高い防風林があったから、家や庭からは西の空の夕焼けはあまり楽しめなかった。それでも、二階にあった台所より夕食の支度の手を止めて、北に聳えるモッチョム岳を望むベランダに出て、夕空を眺めることがあった。ある年の七夕の日に、北の空が夢見心地な水色やピンクや薄紫がたなびく空になり、モッチョム岳が黒いシルエットとなった。ベランダより南を望めば、夏の海の上に入道雲がコーラルピンクに染まるのを目にすることもあった。
 夫は夕方にかけて庭仕事をする日がほとんどだったから、夏の夕焼けの頃には、今日も暑い一日が終わってやれやれと庭でほっとして空を眺めていたようだ。ある日、夫に呼ばれて庭に出てみると、モッチョム岳に不思議な夕焼け雲が現れていた。まるでモッチョム岳に炎が立ち上っているようだった。
 そんな風に、屋久島での夕焼け空もいいものではあったが、少し歳を経て来た、今の暮らしでの、西の空の夕焼けにますます心奪われることも多くなった。


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 一人で見る夕焼けがある。二人で見たい夕焼けもある。二人で見て多くは語らなくとも、同じ夕焼けを見たという思いが残る。一人だったら、夕焼け空の下ただただ佇むだけでもいい。
 夫は今年古希を迎えた。夫の娘からはお祝いのパジャマが届いた。そのお祝いが自分のことのように嬉しい。
 死んだら葬式も墓も不要と夫は言っている。どちらが先に逝くかはわからないことだが、一人の暮らしになることなども考える。私もあと二年で還暦だ。そろそろ老い支度を始めても早過ぎることはない。人生の終盤に向けて、少しずつ整えて行きたいと思うこの頃である。

(2017年8月5日発行、季刊俳句同人誌「晶」21号に掲載)






by kiyoko_ki | 2018-03-21 17:45 | 南からの贈り物 | Comments(0)

エトセトラエトセトラ・・・きよこ


by kiyoko_ki
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